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司法修習のお話~その6 静岡での弁護修習②
静岡は2人の指導担当弁護士がいる豪華修習地
皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。
前回のブログでは、弁護士になるために必要な司法修習のうち、弁護修習についてお話をしました。
静岡での弁護修習は、伝統的に、修習生1名に対して、主任となる弁護士1名、副任となる弁護士1名が選ばれ、2名の弁護士から指導を受けることができます。
静岡県弁護士会に所属する身として手前味噌なのですが、これは本当に素晴らしい制度だと思います。
弁護士は、人によって仕事の仕方も違いますし、経営の仕方も違いますから、複数の弁護士の仕事ぶりを見ることができるというのは、それだけで有益なことなのです。
私も独立してから特にそうなのですが、他の事務所がどうやって経営しているのかなぁとか、他の弁護士がどのように仕事をしているのかなぁということに非常に興味を持っています。
三島での弁護修習~「君は自転車好きか?」
私がお世話になった副任の指導担当弁護士は、静岡県三島市で事務所を開設されている弁護士でした。
弁護修習の初日に、修習開始式という、指導担当弁護士と修習生が一堂に会する顔合わせの式典があります。
修習生は、主任の弁護士と副任の弁護士に挟まれてお昼をいただきます。
お昼をいただきつつ、指定された順番で、修習生と指導担当弁護士が、それぞれ全体に向かって、一人ずつ自己紹介をしていきます。
これを書いていて思い出したのですが、私が指名されて、自己紹介をするために椅子から立ち上がったとき、主任の先生が、「頑張れ」とそっと声を掛けてくれました。
主任弁護士のお人柄については、前回のブログでも触れたところですが、このような一言をそっと掛けてくれる主任弁護士は、やっぱりすごい人だなぁと思います。
さて、今回は副任の弁護士の話なのですが、副任の先生からは、挨拶も早々に、「君は自転車好きか?」と聞かれました。
自転車と言えば、中近距離の移動手段として以外興味が無かったのですが、社会経験が乏しかった当時の私でも、「はい」と答えることができました。
開始式のときだったか、その後のことだったか、記憶が定かではありませんが、「アトムくんの副任事務所での修習獲得目標は、ロードバイクで県弁総会に参加することだ!!」ということになりました。
県弁総会とは、静岡県弁護士会が行う年に2回あるとても重要な会議のことです。
副任の先生がおっしゃった県弁総会では、例年、次年度の静岡県弁護士会の会長が選出されたり、当年の静岡県弁護士会執行部が行いたいと考えていた事項に関する会則変更や会則新設について議決をとったりします。
とにかくすごく重要な会議なのです。
そこに、自転車を漕いで、三島から向かうということになったのです。
副任の先生は、大変豪快な方でした。
ロードバイク修習
さて、県弁総会の当日、私は、ジャージを着て、三島にある副任の先生の事務所を訪れました。
副任の先生の事務所には、ロードバイクがいくつか飾ってあったのですが、その中の一つをお貸しいただきました。
ロードバイクに乗ったのは、このときが初めてでしたが、ロードバイクは通常のバイクよりも座席の部分が高いんですね。
停止したときは、両足のつま先が地面にギリギリ触れるかどうか、というぐらいになります。
漕いでいるときは良いのですが、止まるときにバランスを崩さないか心配でした。
万が一これで事故でも起こそうものなら、絶対にニュースになってしまう(「司法修習生、弁護修習中にロードバイクで事故!!」)と思い、細心の注意を払って運転しました。
ただいまGoogle mapで検索したところによると、副任の先生の事務所から、県弁総会の会場まではおよそ63キロありました。
Google map試算では、およそ4時間で着くという計算ですが、もっとかかったような気もします。
かなりの肉体疲労を覚えながら、県弁総会へ。
後にも先にも、ジャージで県弁総会に出席した修習生は私だけでしょう。
このときのことを覚えている先輩弁護士には、今でも時々、私がジャージで県弁総会に出席していたことをいじられます(笑)
無事に三島から静岡市の県弁総会会場へたどり着き、めでたし、めでたし、かと思いきや、2日目があるんですねぇ。
当時、私は、静岡市に下宿していたのですが、その下宿先から徒歩5分と離れていないところに「アトムくんの分も取ってあるから。」と、宿泊先までご用意いただきました。
2日目は、静岡市から御前崎の灯台に向かい、その後、掛川駅へ。
Google mapで検索したところによると、2日目の行程は、初日の約1.5倍、92キロもありました。
しかも、御前崎から掛川あたりは、かなりアップダウンのある道で、当時大変しんどかったのを覚えています。
副任の先生には、「アトムくんは、体力だけじゃなく、根性もあるなぁ。」とお褒めいただいたのですが、何しろ当時は24歳だったものですから。
今、同じことをやったら、果たして完走できるかどうか・・・。
むしろ、当時から相当なご年齢だった副任の先生を筆頭に、今の私よりも年が多かったであろう他のお2人の先生におかれても、よくまぁ、こんなに大変なことを好んで行ってらっしゃると感服したものです。
掛川駅まで自転車で向かい、自転車を折りたたみ、携行して新幹線へ。
2日がかりで漕いできた距離を30分少々で戻ってきたときには、何ともあっけない物悲しさを覚えました。
そんなこんなで、私にとって弁護修習時代1番の思い出は、間違いなく「ロードバイク修習」です。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
司法修習のお話 ~その5 静岡での弁護修習①
刑事裁判修習を終えて弁護修習へ
皆さんこんにちは。弁護士の石川です。
これまで、弁護士になるために必要な「司法修習」について何度かコラムを書いてきました。
当時私が受けていた司法修習では、「実務修習」と「集合修習」がありました。
このうち「実務修習」は、全国各地に配属されて、現役の弁護士、裁判官、検察官に指導の下、実際の事件を見ながら、研修を行うというものです(司法修習全般については、こちらのページに詳しいご説明がございます)。
静岡だけでなく、それなりの規模を有する他県でも同様だと思うのですが、一つの修習地に配属された修習生は、いくつかの班に分けられます。
以前お話しましたように、実務修習には、裁判(民事・刑事)、検察、弁護という分野がありますが、4つの分野の実務修習を受ける順番は、班によって異なっていました。
私の場合、刑事裁判→弁護→民事裁判→検察という順番でした。
前回のコラムでは、刑事裁判修習での思い出をご紹介しました(後半はほとんどレーズンパンの話でしたが)。
今回のコラムでは、弁護修習での思い出をご紹介したいと思います。
「静岡修習」での弁護修習が、「静岡市修習」あるいは「静岡支部修習」でなかったことは、別の記事でご紹介しましたが、私は2か月間、沼津市にある法律事務所と三島市にある法律事務所で、それぞれ弁護士の先生に付いて弁護修習を行いました。
弁護修習でのお昼ご飯
前回のコラムをご覧の方は、「また飯の話か!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
修習生も弁護士と同様の守秘義務を負っており、弁護修習についても、当たり障りの無いことしか書くことができないため、何卒ご容赦ください。
私が14年前に弁護修習でお世話になった法律事務所には、当時、4人の弁護士の先生がいらっしゃいました。
事務所の創設者の大先生、私の主任担当の先生、主任担当とほぼ同期の先生、それから弁護士になられたばかりの先生という構成でした。
私も弁護士の仕事をしておりまして、最近特に実感しますのが、時間は誰にでも平等ですが、本当に貴重なものだということです。
この5分があれば、電話1本かけられる。
この10分があれば、軽い連絡文書を作成することができる。
60分あれば、短めの書面を作成できる。
時間は本当に貴重です。
指導担当の先生は、現在の私とは比べものにならないほど、ものすごくお忙しかったはずですが、よくお昼ご飯を食べに連れて行っていただきました。
沼津、三島には、美味しいものが本当にたくさんありました。
中でも、私の一番は、超有名店ですが、うなぎの桜家さんです
(桜家さんのホームページはこちらです)。
平日でも開店前から行列ができる超人気店ですが、三島に法律相談に行った際、連れて行っていただきました。
このときも開店前にお店に着き、開店と同時に(厳密には若干待って)入店したという記憶です。
当時は、ただただ美味しくてガツガツ食べてしまったのですが、もっと味わって食べれば良かったです。

4年ほど前に、人生二度目、桜家さんの鰻をいただきました。
このときは「上」をいただいたのですが、生まれて初めてうなぎでお腹がいっぱいになりました。
私が申し上げるまでもなく、非常に美味しいうなぎ屋さんですので、三島にご用事があり、時間に余裕がある方は、ぜひ桜家さんのうなぎをご賞味いただきたいと思います。
また、私が修習をさせていただいた事務所では、私が修習をしていた期間だけかもしれませんが、よく出前を取られていました。
その出前は、千楽さんという沼津でも有名な洋食屋さんでした。
(千楽さんに関する食べログさんへのリンクは、こちらです)
主任担当の先生は上カツライス、私はカツ丼をいただいておりました。
いずれもボリューム満点!
色々なホームページを拝見しましたが、千楽さんでは、カツハヤシが有名なようですね。
最近はほとんどウェブ会議で裁判をしていますので、裁判所に行く機会自体が減っているのですが、今度沼津支部で裁判があったときには、千楽さんでカツハヤシを食べたいと思います。
弁護修習においてどのようなお昼ご飯を食べられるのか、ということは、まさに担当の弁護士先生の裁量によるところですが、私は、美味しいものを本当にたくさんいただくことができました。
司法修習前は、弁護士も裁判官も、生活ぶりはだいたい一緒なのだろうと思っていたのですが、こんなにも違うものなのか、というのを実感したのが、お昼ご飯でした。
地方の弁護士会は(今もそうだと良いのですが)、修習生を歓迎する風土があると思います。
私としては、本当にありがたくおもてなしをしていだいたと思います。
「僕にお返しをしなくていいから、後輩ができたときにおごってあげなさい。」というのは、某先輩弁護士にご馳走になったときに言われたことです。
私も後輩の弁護士や修習生に、先輩の弁護士からいただいた分を渡していきたいと思っていますが、その後輩の弁護士や修習生が、さらに後輩の弁護士や修習生にバトンを渡していただくことができれば、私にとってこれに勝る「お返し」はありません。
弁護士業界(特に、地方の)には、後輩弁護士や修習生にバトンを引き継いでいく風土が強いようにも思います。
ホッとする弁護士~主任担当弁護士の法律相談
2か月の弁護修習の中でたくさんのことを勉強させていただきましたが、真似しようと思っても真似できないなと思ったことは、主任担当弁護士の法律相談での雰囲気でした。
一般の方が弁護士と関わる機会は少ないと思います。
そのため、一回の法律相談で、相談に乗ってもらったA弁護士=スタンダードな弁護士というような受け止めをされる方も少なくないかもしれません。
ただ、弁護士も人間でして、当然のことながら、弁護士にも色々なタイプの弁護士がいます。
明るく朗らかな弁護士もいれば、威厳のあるオーラをまとった弁護士もいるでしょう。
会っただけでホッとする弁護士もいれば、相談するだけで萎縮してしまう弁護士もいるかもしれません。
よくしゃべる弁護士もいれば、寡黙な弁護士もいます。
私の主任担当だった弁護士は、明るく朗らか×会っただけでホッとするタイプだったように思います。
それは、先生のお人柄から来るもので、真似ようと思って真似できるものではありません。
また、そのような雰囲気は、多年の経験値から来る、ある種の「余裕」にも基づいているのかもしれません。
私もそんな弁護士になれたらいいな、と修習生だった当時思っていました。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
司法修習のお話~その4 静岡地方裁判所での刑事裁判修習
守秘義務のお話~弁護士にも司法修習生にも守秘義務があります
残暑お見舞い申し上げます。弁護士の石川です。
残暑どころか酷暑と言われる日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、これからのブログでは、いよいよ実務修習に関する思い出について書いていきたいと思います。
これからこのブログをお読みになる方は、「こんな遊びみたいなことばかりやっていたのか!」「税金返せ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、司法修習生には、弁護士と同様に、守秘義務があります。
司法修習時代の守秘義務は、弁護士になった今でも解除されていません。
ですので、具体的な事件の内容を書くことはできないのです。
一般に公開されているブログでは、当たり障りのない「遊びみたいなこと」しか書けないのです。
何卒ご容赦ください。
中庭にテニスコートがあった裁判所
私の司法修習が始まったのは、2009年(平成21年)12月のことでした。
始まっていきなり賞与が支給されてビックリしたことについては、以前のブログでご紹介したおりです。
さて、2009年(平成21年)12月には、静岡地方裁判所において、「世紀に一度」と言っても過言ではないビッグイベントがありました。
庁舎、つまり、裁判所の建物の建て替えです。
私たちが司法修習を始めた当初に使用していた静岡地方裁判所の庁舎は、「戦後に進駐軍が建てたもの」だったそうです。
天井は高く、年季の入った焦げ茶色の木材が使用されていた庁舎は、まさに謹厳といった雰囲気でした。
ちなみに、エレベーター(司法修習生は使用禁止)は、静岡県内で2番目の古さだったようです。
当時の静岡地方裁判所旧庁舎には、中庭にテニスコートがありました。
また、お昼休みになると、裁判所職員が、幅の広く天井の高い廊下に卓球台を引っ張り出してきて、廊下で卓球をしていたこともあったそうです。
当時の裁判官のご説明だったと思いますが、税金で建てられる裁判所にテニスコートのような「遊び」があるのはけしからん、という市民の声があったからか、あるいは、そのような批判を恐れたためか、現在の静岡地方裁判所の庁舎にテニスコートが設置されることはありませんでした。
また、現在の静岡地方裁判所の廊下では、狭すぎて卓球はできません。
おぼろげな記憶ですが、旧庁舎の廊下の幅は、4メートルくらいはあったのではないでしょうか。
テレビドラマや映画でも使われそうな、すごく雰囲気のある建物でした。
ただし、残念なことに、旧庁舎の法廷を見る機会はありませんでした。
私たちが修習を開始した当初、既にプレハブの仮法廷が建てられていたからです。
新庁舎の、つまり現在の静岡地方裁判所の法廷について、当時の裁判官は、「明るすぎて感銘力も何もあったもんじゃない。」とおっしゃっていましたが、今では誰も法廷の雰囲気に疑問を持つことは無いでしょう。
旧庁舎の法廷は、建物の雰囲気と同様、謹厳な感じだったのでしょうね。
私が行ったことがある静岡県内の裁判所で、法廷の雰囲気と言えば、沼津支部がピカイチです。
きっと静岡地方裁判所旧庁舎の法廷も、あのような雰囲気だったのではないかと推察します。
裁判官のお弁当とレーズンパンの話
私たちにとって、最初の司法修習(実務修習)は、刑事裁判修習でした。
司法修習の初日だったと思いますが、早速刑事裁判を傍聴しました。
守秘義務でも何でもなく、何の事件だったのかすっかり忘れてしまったのですが、司法修習生になると、法廷の中(=「バーの中」)に入ることができます。
「バーの中」に初めて入ったときには、大学、大学院、司法試験の合格を経て、「やっとここまで来られたか。」という感慨がひとしおでした。
さて、これもおぼろげな記憶ですが、新庁舎への引越しがあったのは、修習開始後わずか数日であったと思います。
主に新庁舎での記憶なのですが、当時、私たち司法修習生は、お昼ご飯を裁判官と一緒に食べ、世間話をしたり、事件の話をしたりしていました。
当時、裁判官たちは、毎朝、決まった宅配のお弁当屋さんにお弁当を注文していました。
お弁当には、A、B、ヘルシー、デラックスなどの区分がありましたが、高くても400数十円だったと思います。
裁判官って意外と質素なんだなぁと思いました。
裁判官は、ほぼ全員、そのお弁当屋さんにお弁当を注文し、修習生もそれに習って、同じお弁当屋さんにお弁当を注文していました。
しかし、私は、どうしてもそのお弁当屋さんのお弁当に馴染むことができませんでした。
私は、それほど食に強いこだわりを持っていませんが、好き嫌いは人より多いと思います。
私は、そのお弁当の「白米が冷たい状態で提供されること」に、どうしても耐えられなかったのです。
そのため、修習が始まって2週間ほどして、私は、そのお弁当屋さんのお弁当を注文することを止め、裁判官5人と修習生6人の中で、唯一「お弁当」を持参することになったのです。
そのお弁当は、レーズンパンでした。
より正確に言うと、Pascoの十勝バターレーズンスティックです。
このパンを1日3本食べていました。2日で1袋ですね。
司法修習は、原則として暦どおりに行われますので、平日5日は、裁判所でお昼を食べます。
私のお昼は、月曜日から金曜日まで、毎日レーズンパンでした。
12月の2週目も3週目も4週目も連日レーズンパンでした。
毎日同じレーズンパンばかり食べていたので、ある日裁判官が、「石川さん、これどうぞ。」と言って、スーパーで使えるレーズンパンの割引券をくれたこともありました。
司法修習終了後、晴れて弁護士となった後、他の修習生だった友だちと、当時お世話になった刑事裁判官に会いに、東京に行ったことがありました。
裁判官にお目にかかるのはほぼ1年ぶりでしたが、裁判官からは、そのときも、「レーズンパンを見ると、石川さんを思い出します。」と言われました(笑)
ちなみに、弁護士になって13年経ちますが、今でも1月に2~3回は、お昼はレーズンパンという日があります。
食の好みはなかなか変わらないものです。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
お盆休みのお知らせと夏野菜の話
お盆休みのお知らせ
皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。
当事務所では、令和5年8月11日から同月20日までお盆休みをいただきます。
上記期間中、事務所は閉鎖されており、お電話をいただいても対応が出来かねますので、恐れ入りますが、ご承知置きください。
なお、顧問契約をご締結いただいている会社様には、何かございましたら、上記期間中も、ご遠慮なく当職の携帯電話宛にご連絡をいただければと思います。
暑い日が続きますが、皆様何卒ご自愛ください。
夏野菜の話
ここから全く関係が無い話になるのですが、私の趣味の一つに家庭菜園があります。
賃貸マンション時代から、ベランダのプランターで野菜を育てていました。
今の戸建てに移る前には、マンションの4階に住んでいましたが、南向きで日当たりが良く、かつ、4階なので、虫もつきにくく、非常に良い環境で野菜を育てていました。
2年ほど前に今の戸建てに移り、庭の一部を家庭菜園用に庭を開墾しました。
開墾部分の土地は、転圧がかけられていて、めちゃくちゃ固く、開墾中に徐々に鍬の先が曲がってしまうほどでした。
2か月ほどかけて、畑用に土を掘り返し、大きめの石を捨て、家庭菜園用の土に入れ替えました。
また、念のため土壌汚染の検査も行いました(検査結果は問題無しということでした)。
今年は、春先に少しだけ畑を拡張しました。
今年育てた野菜は、プチトマト(アイコ)、キュウリ、とうもろこし、カボチャ、メロン、ピーマン、枝豆です。
プチトマトとキュウリは連作の影響があったのか、そこそこは取れましたが、去年ほどの勢いはありませんでした。
今年初めて収穫できたのは、カボチャです。
カボチャは、賃貸マンション時代にもチャレンジしたのですが、当時は、人工受粉が必要だということを知らず、花を咲かせては枯れさせていました。
今年は、人工受粉に成功し、一つ収穫することができました。
ただし、成長途中で、うどんこ病になってしまい、葉や茎が枯れてしまったため、十分に成熟した状態で収穫することはできませんでした。
見た目はそこそこ良いのですが、残念ながら味は全くありません。


来年は、水はけ等に気を付けて、カボチャに再チャレンジしたいです。
今年成功したのはとうもろこしです。
とうもろこしは、お店で売っているのと遜色ないものを何本か収穫することができました。


6月下旬頃から色んな野菜がなり始めましたが、現在残っているのは、ピーマンだけです。
キュウリは最盛期には、週に10本ほど穫れるのですが、とても我が家では食べきれないため、事務員さんにお裾分けしています。
最近、通勤経路のお家で、とても上手にスイカを育てているお家を発見しました。
来年はスイカを植えたいと思います。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
司法修習のお話~その3 「静岡」での実務修習
静岡修習=静岡市での修習ではなかった!という驚き
みなさん、こんにちは。弁護士の石川アトムです。
前々回のコラムでは、弁護士になるために必要な司法修習の概要についてお話ししました。
また、前回のコラムでは、実務修習地の決め方や、私が第一希望で静岡を希望し、見事静岡での修習を行うことになったことをお話ししました。
今回以降のコラムでは、私が13年前に経験した実務修習の内容や思い出などについて、お話しできる限りでお話ししていきたいと思います。
前回のコラムでもお話ししたように、私は、第一希望で静岡での実務修習を選択し、見事その希望どおり静岡に配属されることになりました。
当時の司法修習は、現在のように、「導入修習」という、司法修習の最初に、司法修習生が埼玉県にある司法研修所に集合して、様々な講義を受けるという制度がありませんでした。
そのため、司法修習が始まると同時に、いきなり全国各地での実務修習が始まるという状態でした。
ただし、静岡の場合は、司法修習が始まる1月ほど前に、実務修習についての事前説明会のようなものがありました。
私はこのとき初めて静岡地方裁判所に行きました。
私は静岡市の出身で、駿府城に面した城内中学校の卒業生です(ちなみに53回生です)。
しかし、恥ずかしながら、事前説明会のために静岡地方裁判所に向かうときまで、静岡地方裁判所が、城内中学校と駿府城のお堀を挟んで反対側にあるということを知りませんでした。
そして、事前案内の際、私が大変驚いたのは、私の弁護修習は静岡市ではなく、沼津で行われるということでした。
「実務修習」では、民事裁判、刑事裁判、弁護士、検察の4つの分野について研修を受けます。
「静岡修習」と言えば、てっきり全ての実務修習を静岡市内にある裁判所、検察庁、弁護士事務所で受けるものだと思っていたのですが、そうではないということを知ったのです。
私は、当時、静岡市で弁護士として働くことを希望しており、そのため、「静岡」を実務修習地の第一希望としました。
しかし、弁護修習は沼津の弁護士事務所で受けるということを知らされ、そのことを聞いたときは、少なからずショックを受けました。
また、私は、事前案内の時点で、既に実務修習期間中に住むための家を静岡市内で決めてしまっていました。
そのため、裁判修習や検察修習が静岡市内で行われる一方、その途中に2か月間だけある弁護修習については、沼津に住んだ方が良いのだろうかなどと思案に暮れました。
ただし、別の機会に書きたいと思いますが、沼津での司法修習は大変楽しく、指導担当の先生方はお二人とも素晴らしい先生でした。
静岡での実務修習の形態
私が司法修習を受けていた平成21年当時もそうでしたし、現在の静岡での実務修習もそうなのですが、「静岡」で実務修習を受ける修習生は、5、6人を1班として、4つの班に分けられます。
裁判修習と検察修習については、どの班も、静岡地方裁判所と静岡地方検察庁で修習を行います。
しかし、弁護修習については、4つの班のうち2つの班は、静岡地方裁判所の本庁管内にある弁護士事務所で修習を行いますが、他の2つの班は、それぞれ浜松と沼津を中心とした地域の弁護士事務所で修習を行います。
なお、関東弁護士連合会発行の「ひまわり」によると、静岡において、弁護修習を静岡本庁のみならず、浜松や沼津でも行うようになったのは、平成16年ころからということでした。
当時の司法修習生の年齢層
先ほどもお話しましたが、当時の静岡修習では、修習の開始前に事前説明会のようなものがありました。
このとき初めて、自分が配属される班が決まるとともに、他の修習生はどんな感じなのか、ということが分かりました。
当時は、現在のように「予備試験」という制度が無かったため、法科大学院(ロースクール)を卒業した年に最初に受験する司法試験に合格することが、いわゆる最短コースでした。
そうすると、当時の司法修習生のうち最も若い人というのは、24歳、25歳くらいということになります。
当時、そのような修習生は全体の3割程度を占めていました。
そして、20代後半から30代の方が5割程度、40代以上の方が2割程度というような記憶です。
近年では、静岡に配属される司法修習生の多くは、20代前半から半ばという印象です。
私が司法修習生だった時代も、24歳、25歳の司法修習生は若いと言われていましたが、今ではさらに若い司法修習生がたくさんいますので、言葉で表現することが難しい感覚なのですが、こんな若い人が司法修習生なのか!と、驚くような、少し恐ろしいような感じがします。
司法修習と「給与」
私が司法修習生だったころ、司法修習生には、国から給与が支払われていました。
修習が始まったのは11月末ころでしたが、それから数日して、いきなり賞与が支払われました。
普通の「月給」をもらう前に「賞与」でしたので、大変驚きました。
「賞与」は、仕事上何か頑張った人がもらうものだと思っていましたので、修習開始わずか数日で賞与が支給されるなんて、司法修習ってすごい制度だなと思いました。
私が司法試験に合格したその翌々年、司法修習生に対する「給与」は廃止されてしまいました。
その後の修習生に対しては、「貸与」という形で、国が一定の金銭を修習生に貸すということになりました。
さらにその後、2017年からは、「修習給付金」という名目で、再び、司法修習生に対して一定の金銭が支払われるようになりました。
ちなみに、「修習給付金」に関する最高裁のウェブサイトはこちらです。
「修習給付金」の金額は、私たちが受け取っていた「給与」の額よりも相当低く、もちろん「賞与」もありません。
司法改革を経て、司法試験合格者の人数は増えましたが、その反動と言いますか、修習生の待遇にも大きな変化がありました。
私が司法修習生だった時代は、国のお金で勉強をさせてもらい、しかも、お給料までいただけていたのですから、大変良い時代に修習をさせてもらったと思っています。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
「司法修習」のお話~その2
弁護士なるために必要な「司法修習」とは~前回のおさらい
前回のブログでは、弁護士になるために必要な「司法修習」の概略についてお話ししました。
「司法修習」とは、非常にざっくり言うと、司法試験に合格した後、弁護士、裁判官、検察官になろうとする人が受けなければいけない研修のことです。
司法修習では、「集合修習」と呼ばれる研修と、「実務修習」と呼ばれる研修の両方を受ける必要があります。
「実務修習」とは、修習生が日本全国のどこかの都道府県に配属され、その都道府県で約9か月間、弁護士、裁判官、検察官のもとで、実際の裁判や事件に触れながら研鑽を積むというものです。
静岡県でも、毎年20数名の修習生を受け入れています。
それでは、実務修習の場所は、どのように決まるのでしょうか。
「実務修習」の研修場所はどのようにして決められるのか?
司法試験に合格した後、司法修習を受けることを表明した司法試験合格者に対しては、どの都道府県で修習を受けたいですか、という希望が聴取されます。
ただし、どの都道府県でも、好きなだけ書けるというわけではありません。
私が司法試験に合格した14年前の古い情報で申し訳ないのですが、当時、全国の都道府県は3つのグループに分けられていました。
不正確な点がありますが、ざっくり言えば、大都市圏、地方中核都市、その他という3つのグループです。
修習を受けようとする人は、実務修習を受けたい都道府県を7つくらいまで、優先順位を付けて、希望を出すことができました。
ただし、大都市圏と地方中核都市は、それぞれ2つまでしか書けませんでした。
つまり、1番東京、2番横浜、3番京都、4番大阪などという希望を出すことはできません。
これらの都市は大都市圏グループでしたので、4つの都市のうち、2つまでしか記載できませんでした。
私が修習生だったころには、四国を書くと、希望順位に関わらず、四国になるという、都市伝説がありました。
私の6年後輩の弁護士が、かなり下の順位で四国の某県を記載したそうですが、彼はその修習地に配属されました。
彼によると、四国の某県での修習はとても楽しかったそうで、私も私的な旅行で四国に行ったことがありますが、とても楽しかったです。


2枚目の写真は、水曜どうでしょうファンなら一度は行きたい、山田屋さんです。
第一希望はもちろん静岡
私の第1希望は、もちろん静岡でした。
静岡での就職を希望していた都合上、第2希望は、静岡に行きやすい横浜を書いたような気がします。
ちなみに、私が修習生だったころ、静岡は大都市圏グループでした。
おそらく首都圏への就職活動に有利な地であり、そのため修習生から人気があったからでしょう。
先ほど、「不正確な点がありますが、」と申し上げたのは、大都市ではないであろう静岡が、グループ分けにおいて、大都市圏グループに組み込まれていたというようなことがあったからです。
私は、見事第1希望で静岡に配属されることになりましたが、修習地は、必ずしも本人の希望が最優先に考慮されるものではないようです。
静岡を第1希望にしたのに静岡に配属されなかった修習生がいる一方、静岡は第3希望であったのに静岡に配属されたという修習生もいました。
実務修習地毎の修習生のレベルの均一化を図る目的などから、そのような配属がされているのだと思われます。
「導入修習」や「集合修習」と、実務修習地との関係
私が修習生だった約14年前、「導入修習」はありませんでした。
司法修習は、いきなり全国各地に配属される「実務修習」から始まり、実務修習が終わると、司法研修所に集まって「集合修習」を受けるというシステムでした。
集合修習では、クラスに割り振られて、各クラスでまとまって授業を受けます。
私が司法試験に合格した2009年当時、司法試験合格者は2000人を超えていました。
当時、集合修習のクラスは、1クラス70人程度で、25クラス程度あったという記憶です。
このクラス分けは、実務修習地を基準に決定されていました。
東京や大阪などの大都市圏は、一つの実務修習地で何クラスもあったのだと思います。
他方で、人数が少ない地方都市の実務修習地では、いくつかの実務修習地が合わさって、一つのクラスとなっていました。
私が配属されていたクラスは、実務修習地が、静岡、甲府、那覇という構成でした。
静岡と甲府は地理的に近いので、この2つが1つのクラスにまとめられるのは理解できるのですが、そこに那覇が入るという何とも絶妙な組み合わせでした。
那覇修習の修習生
那覇に配属されると、地理的な条件から、他の都道府県で就職活動を行うことには大きな困難を伴うことが予想されます。
那覇を希望する修習生は、このことを承知で那覇を希望するわけですが、逆に言うと、既に就職先が決まっている修習生には、就職活動上の地理的ハンディキャップは何の問題にもなりません。
おそらく現在もそうだと思いますが、那覇を希望する修習生は、既に就職先を確保している修習生がほとんどでしょう。
私の代の那覇の修習生は、非常にはっちゃけている人が多く、大人しい静岡、甲府の修習生とは、雰囲気が違いました。
この点で、静岡、甲府に那覇が加わるというクラス分けは、まさに絶妙だったのです。
先にお話ししたように、私が修習生だったときには、いきなり全国各地の「実務修習」から始まっていたので、相互に「遠征」でもしない限り、他の修習地の同じクラスの人と会うのは、司法修習の最終盤、「集合修習」が初めてということになっていました。
しかし、静岡、甲府、那覇というクラスは、和気あいあい、とても楽しいクラスで、非常に仲が良かったという記憶です。
同じクラスの修習生だった友だちと、今年熱海で再会できるのがとても待ち遠しいです。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
「司法修習」のお話~その1
弁護士になるためには~「司法修習」って聞いたことありますか?
皆さんこんにちは。静岡で弁護士をしている石川アトムです。
突然ですが、弁護士になるためにはどうしたら良いでしょうか。
多くの方が、司法試験に合格すること!!とお答えになると思います。
それでは、司法試験に合格すれば、すぐに弁護士として働くことができるのでしょうか。
答えは、Noです。
司法試験に合格した後、弁護士、裁判官、検察官になりたい人は、「司法修習」という研修を受けなければなりません。
司法試験合格者が司法修習を終え、司法修習の卒業試験に合格すれば、晴れて、弁護士、裁判官、検察官として働くことができるようになります。
司法修習は、コロナ禍のイレギュラーな年を除けば、基本的に毎年、決まった時期に行われています。
弁護士業界では(おそらく裁判官も検察官も同様だと思いますが)、「修習新63期の石川です」や「修習70期の○○です」などという自己紹介をすることがよくあります。
「修習新63期の~」というのは、司法修習を終了した年を基準として、「何期の卒業生です」というようなニュアンスです。
私は、修習新63期です。
最近弁護士になられた方から「修習75期の○○です」などと自己紹介されると、「自分もいつの間にか年を食ったもんだ」という気になります(笑)。
修習終了後10年目の会in熱海
今回のブログでは、一般の方には、あまり知られていない司法修習のことを少しだけご紹介します。
と言いますのも、今年は、修習新63期の司法修習終了後10年の会が開かれるからです。
具体的に何をするのかは全く知らないのですが、司法修習終了後10年の会は、該当する年の修習生の間で毎年行われている恒例の行事のようです。
司法修習を終了して10年、つまり、弁護士、裁判官、検察官といった実務に就いて10年の節目に、熱海で同級会をやるというものです。
私が実務に就いて10年の節目の年には、コロナの影響で、この同窓会が中止となりました。
てっきりもうやらないものかと思っていたのですが、実務について13年目の今年に開催されることになりました。
今は別の都道府県で働いている、当時一緒に司法修習を受けた友だちや、司法修習で大変お世話になった教官たち(大先輩の弁護士、裁判官、検察官ということになります)に会えるのをとても楽しみにしています。
「集合修習」とは
さて、司法修習の期間は、概ね1年1か月です。
その中で、司法修習生は、「導入修習」や「集合修習」と呼ばれる研修と、「実務修習」と呼ばれる研修の全てを受ける必要があります。
「導入修習」と「集合修習」は、司法試験の合格者が司法研修所という施設に集まって、座学で研修を受けるものです。
司法修習のスタート時に受けるものが「導入修習」、司法修習の終盤に受けるものが「集合修習」というイメージで良いと思います。
ただし、現在では、司法試験の合格者が大変多くなっています。
2022年の司法試験の合格者数は、約1400人でした。
そのため、導入修習や、集合修習については、1400人の修習生全てが同時に集まるのではなく、修習生を2グループに分け、時期をずらしながら修習を行っているようです。
「実務修習」とは
「実務修習」とは、修習生が日本全国のどこかの都道府県に配属され、その都道府県で約8か月間、弁護士、裁判官、検察官のもとで、実際の裁判や事件を通して勉強をしていくというものです。
たとえば、弁護修習の場合、弁護士と一緒に裁判所に出廷したり、依頼者と打合せをして裁判所に提出する書面を作成したり、警察署に留置されている被疑者と面会したりします。
裁判修習では、裁判官と一緒に法廷に臨んだり、今後訴訟をどのように進行させるか裁判官と議論をしたり、判決を下すとすればどういった内容の判決を出すかということについて判決書の案を作成したりします。
検察修習では、検察官と一緒に、被疑者に対する取調べを行ったり、ある事件について、当該被疑者に対してどのような処分が適当と考えるかを議論したりします。
検察修習の最後の方では、他の司法修習生とペアを組み、検察官は同じ部屋にいるものの、基本的に口を出さず、修習生だけで被疑者を取調べ、調書(被疑者が話した内容をパソコンで打った書類)を作成することもあるかもしれません。
ただし、このようにお話し実務修習の内容は、もう13年前になりますが、私が経験した静岡での実務修習の内容に基づくものです。
大都市圏での実務修習の内容は、上記のものとは異なっているかもしれません。
と言いますのも、静岡で受け入れている修習生は、1年あたり25人程度なのですが、先にお話ししたように、司法試験の合格者は1年あたり1400人を超えています。
具体的な数字は分からないのですが、東京や大阪といった大都市では、1年あたり何百人という修習生を受け入れているものと思われます。
そういった大都市の場合、何百人という修習生に見せられるだけの修習に適した内容の事件が無かったり、「修習生一人当たり~」という見地からしたときの指導側のマンパワーが、地方都市には及ばなかったりするようです。
そのため、地方都市では数件行うことができた検察修習での取調べについても、大都市では全く経験できなかったという修習生もいたという話を聞いたことがあります。
就職活動に関しては、大都市圏での修習が地理的に有利であると思いますが、修習生として実際に経験できる修習の内容という観点からすると、地方都市には大きな魅力があるのではないかと思います。
私は静岡で修習をさせていただき、大変良かったと思っていますし、おそらくこれから司法修習を受けられる司法試験合格者にとっても、静岡での司法修習は大変有意義なものになると思います。
司法試験合格者で、本ブログをお読みの方がもしいらっしゃれば、静岡での司法修習をお勧めいたします。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
7月になりました~また食料品が値上がりするようですね
恒例となってしまった食料品値上げのニュース
皆さん、こんにちは。
静岡で弁護士をしている石川アトムです。
今日から7月となり、当事務所も開設9か月目に入りました。
事務所開設の際には、皆様からお祝いにたくさんの蘭をいただきました。
その中には、第2弾の花を付けているものもあり、長いものでは8か月以上咲いている鉢もあります。


写真左の紫の蘭は大変お世話になっている顧問先様から頂戴した蘭で、写真右の白い蘭は、これまた大変お世話になっている義母から頂戴した蘭です。
どちらの蘭も、いただいてから8か月以上咲き続けています!!
蘭という花は、こんなに長く咲き続ける花もあるのかと驚いています(静岡法律事務所が増築をした際にも、たくさんの方からお祝いの蘭をいただきましたが、保ったのはせいぜい2か月だったような気がします)。
さて、毎月の月末あるいは月初には、食料品の値段が上がりますというニュースを見かけることが当たり前のようになってしまいました。
今月も一部の食パンを始め、生活に欠かせない食料品が多数値上げされます。
昨年は、バブル崩壊後類を見ない記録的な値上げラッシュの年と言われましたが、今月中には、昨年度の値上げ品目数を超えてしまうそうです。
我が家の食事作りは1週間交替の当番制
最近は、食料品が次々と値上げされていることを実感します。
それは、我が家では、私と妻が1週間交替で3食の食事を作っており、基本的に食事当番の者が買い物に出掛けるため、私も月に何回か食材を買っているからです。
我が家の食事当番は日曜日始まりで、今週は私、来週は妻、再来週は私、その次の週は妻といった具合です。
私の両親は共働きでしたが、実家の食卓に、お惣菜、既製品、冷凍食品が出てくることはまずありませんでした。
外食に行くこともほとんどなく、夕食は母の手作りでした。
そのような環境で育ったため、大学、大学院では当たり前のように自炊をしていました。
忙しくなければ、食事作り自体は苦ではありません。
他方で、食事作りは、特別楽しいというほどではありません。
自分にとっては、風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じで、生きていくうえで必要な作業を行っているという感覚に近いと思います。
ただ、気分転換の一つにはなっていると思います。
大学院に進学することが決まったとき、食事を作りながら、司法試験の勉強が忙し過ぎて、食事を作る暇も無くなったら嫌だなぁと思ったことがありました。
妻と同棲、結婚後も、私が食事作りをしていましたが、長女が9か月になったころに、妻からの申し出だったと思いますが、食事作りを1週間交替にしてもらいました。
1週間交替になると、毎日作るということは考えられなくなってしまいますね。
やらなくて良くなると、作ってもらえるものならば作ってもらいたいと思うようになってしまいます(汗)。
私が食事当番の週は、前半3、4日、同じ副菜が出てきます。
主菜は、肉と魚を交互に、日替わりです。
しかし、副菜まで日替わりというのは、さすがに大変です。
そのため、副菜は日曜日に作り置きをしておいて、火曜か水曜あたりまで同じ物が出ます。
汁物が豚汁だと大量に作るので、これも3、4日同じ物が出ます。
子どもが大きくなったら、文句を言い出すかもしれません・・・。
主菜は日替わりなので、勘弁してもらいたいと思います。

写真は5月1日の夕飯です。
値上げラッシュの記事を書こうと思ってもう2か月も経ってしまったのですね(汗)
この日の夕食は、焼き鮭、にんじんしりしり、レンコンのきんぴら、ブロッコリーと生野菜、豚汁だったようです。
仕事から帰ってきて食事の時間までに食事を作るというのは、毎日やるとなるとなかなか大変です。
うちの母は、一時期、夕方食事を作りに戻り、また仕事に出るということをしていましたが、恐ろしいストレスと疲労が掛かっていたんだろうなと思います。
我が家の食費の目標は1月4万5000円でした
食料品値上げの話に戻りますが、最近は、本当に値上がりしないものは無いという感じがします。
恐ろしい早さで食料品の値段が上がっています。
私は、大学時代から家計簿を付けており、現在も家計簿をつけています。
6月までの我が家(というか私)の1月の食費の目標は4万5000円でした。
大人2人、未就学児2人という構成で、1か月の朝、昼、晩、3食分の食費です。
米とビールは、通常の買い物とは別ルートで入手しているので、4万5000円には入っていません。
また、月にあっても1回程度ですが、友だちと行く飲みや、弁護士絡みの懇親会の類いに掛かる費用は含まれていません。
過去の家計簿を見てみたところ、子どもが小さかったから、子どもが1人だったからという理由はあるかもしれませんが、令和3年のうちは1月あたり4万円程度でやりくりできていました。
しかし、令和4年春ころになると4万円では1月分の食費が賄えなくなり、目標値を4万5000円に上げました。
そこから1年ほどは何とか4万5000円でやっていたのですが、今後は1月4万5000円では無理なんじゃないかなぁと思っています。
今月で言えば、食パンの値上げは非常に痛いです。
3日で少なくとも2斤が消費されるので、1月20斤買うと思うと、食パン値上げの影響は小さくありません。
7月からは、1月の食費の目標を4万8000円程度にしようと思っていますが、来年の1月になったら、目標は5万円に到達しているかもしれません。
1年後には5万5000円になっているかもしれません。
先日、卵の値上がりが一段落しそうだという記事を読んだのですが、卵の値下がりを切に願います。
仕事上、自己破産の案件をよく扱っています。
コロナ禍で景気が極端に減速した時期でさえ、自己破産の申立てを検討される方が増えたという感覚はありませんでした。
しかし、毎月のように値上げが繰り返される状況下にあって、今後、物価の上昇に対応した給与の上昇が無いとすれば、自己破産を検討される方の人数は加速していくのではないかと思います。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
やってはいけない偏頗弁済(偏ぱ弁済)~その3 破産管財人による否認権行使
偏頗弁済を行ってしまった場合・・・
偏頗弁済とは、大まかに言うと、破産者が行った偏った弁済、不公平な弁済のことです。
これまでのコラムでは、偏頗弁済の概要と、偏頗弁済が免責不許可事由に該当するおそれがあることについてお話しました。
偏頗弁済に関する概要については、こちらのページをご覧ください。
偏頗弁済と免責不許可事由との関係に関する詳しいご説明については、こちらのページをご覧ください。
他方で、偏頗弁済が行われた場合、弁済を受けた債権者の側では、破産管財人から、破産者から受け取ったお金の返還を求められる可能性があります。
ここの会社にはお世話になってきたから支払いをしよう、親戚にだけは迷惑を掛けられないからこっそり返済してしまおう。
そういった弁済を受けた債権者は、後になって、破産管財人から、「受け取った物を返しなさい!」と言われてしまう可能性があります。
このような破産管財人の請求を「否認権の行使」などと言います。
今回のコラムでは、どのような場合に、債権者が、破産管財人から弁済金の返還を求められる(否認権を行使される)可能性があるのかについて、具体的にお話をしたいと思います。
なお、破産管財人に関する詳しいご説明は、こちらのページをご覧ください。
破産管財人の否認権の行使とは何ぞや
破産法第1条は、破産法の目的を、「債権者その他の利害関係人の利害及び債務者と債権者との権利関係を適切に調整する」こと、「債務者の財産等の適正かつ公平な清算を図る」こと、と定めています。
つまり、自己破産手続は、利害関係人の利害を適切に調整し、債務者の財産を適正かつ公平に清算することを目的としています。
自己破産手続が開始され、破産管財人が選任されると、破産者が持っていた財産の管理処分権は破産管財人に移行します。
反対に、自己破産手続が開始されるまでは、破産者の財産の管理処分権は破産者(債務者)自身に帰属しています。
そのため、破産手続が開始されるよりも前の時点であれば、破産者(債務者)が自分の財産をどのように処分しようと自由であるように思われます。
しかし、破産者は、自分の財産が不足しているために、借金などの本来支払わなければならない負債を支払うことができず、破産を申し立ています。
破産手続の開始決定前に、破産者(債務者)が自分の財産を無償で第三者に譲渡してしまったり、あるいは、自分の財産を特別安く売却してしまったり、財産が不足しているにもかかわらず、特定の債権者に対してだけ弁済をしたりすることが自由であるとすると、債権者が本来もらえるべきであった弁済金が減少したり、他の債権者との間に不公平を生じたりすることになります。
そこで、このような不当な結果、不公平な結果を是正すべく、破産管財人には、一定の要件のもと、破産者(債務者)や第三者が行った行為の効力を否定し、破産者の財産を本来あるべき状態に戻す、という権限が与えられています。
このような破産管財人の権限を否認権と言います。
どのような弁済が破産管財人による否認権行使の対象となるのか
それでは、破産者(債務者)が行った弁済は、どのような場合に否認権の行使の対象となるのでしょうか。
具体的な要件を見ていきましょう。
実は、破産管財人による否認権行使の対象となる行為には、多くの種類があります。
今回は、破産者が、既に存在している債務(借金)に関して担保を提供したり、弁済したりした行為について、否認権が行使される場合についてお話をしたいと思います。
以下、このコラムでは、既に存在している債務(借金)について担保を提供したり、弁済をしたりする行為を総称して、「弁済等」と呼ぶことにします。
否認権行使の対象となる偏頗弁済~パターン1
破産者による弁済等が否認権行使の対象となる場合には、大きく分けて2つのパターンがあります。
1つ目のパターンは、破産者が支払不能に陥った後、または、破産手続が申し立てられた後に破産者が弁済等をする場合です。
ただし、債権者が、弁済等が支払不能または支払停止になった後にされたものであることを知っていた場合、または、破産手続開始の申立てがあったことを知っていた場合に限り、否認権行使の対象となります。
支払不能、支払い停止に関する詳しいご説明は、こちらのページ(現在執筆中)をご覧ください。
なお、以下の場合には、弁済等を受けた債権者は、弁済等が支払不能及び支払停止になった後にされたものであること、または、破産手続の申立てがあった後にされたものであることを知っていたことが推定されます。
①破産者が法人であり、弁済等を受けた債権者が、破産者の理事、取締役などの地位にあった場合
②破産者が法人であり、弁済等を受けた債権者が、総株主の議決権の過半数を有する者等であった場合
③破産者が個人である場合、弁済等を受けた債権者が、破産者の親族または同居者である場合
④破産者による弁済等が破産者の義務に属しないか、その方法若しくは時期が破産者の義務に属しないものであった場合
否認権行使の対象となる偏頗弁済~パターン2
否認権行使の対象となる2つ目のパターンは、弁済等が破産者の義務に属しない場合(2つ目のパターンA)か、弁済等の時期が破産者の義務に属しないものです(2つ目のパターンB)。
ただし、弁済等を受けた債権者が、当該弁済等が、他の債権者を害するものであることを知らなかったときは、否認権行使の対象にはなりません。
2つ目のパターンでは、支払不能になる30日前からの弁済等が対象となっており、1つ目のパターンよりも、時期的な範囲が拡大されています。
弁済等が破産者の義務に属しない場合(2つ目のパターンA)とは、担保を提供する合意が無かったにもかかわらず、担保を提供した場合などをいいます。
弁済等の時期が破産者の義務に属しない場合(2つ目のパターンB)とは、端的に言えば、弁済期が到来していないのに支払いをしてしまった場合のことです。
なお、否認権行使の対象となる弁済等についての「破産者の義務に属しない」、「時期が破産者の義務に属しない」の意味については、基本的には、偏頗弁済が免責不許可事由に該当する場合と同様の意味です。
よろしければ、免責不許可事由に関して説明したこちらのページについてもご参照ください。
偏頗弁済をするとかえって債権者に迷惑がかかる場合があります
「この会社にはお世話になったから」、「親戚にだけは迷惑を掛けられないから」という理由で、一部の債権者についてだけ弁済をしてしまうと、後になって破産管財人から、債権者に連絡が行き、受け取ったものを返さなければならなくなることがあります。
ある日突然、破産管財人から連絡が来て、その対応に追われ、弁済されていたと思っていたものを返さなければならなくなるとすれば、そのような弁済は、債権者にとって、かえって迷惑になってしまうでしょう。
自己破産をすることを決めている場合には、意識的に特定の債権者に対してだけ返済をすることは控えるべきです。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。
静岡高校と静岡県の弁護士
静岡高校のOB・OG会がありました
皆さん、こんにちは。静岡市で弁護士をしている石川アトムです。
令和5年5月8日から、コロナ感染症の感染症法上の分類が第5類となり、近時は、懇親会の類いが開催される機会も増えているのではないでしょうか。
一昨日のことですが、静岡県弁護士会に所属している静岡県立静岡高校(旧制静岡中学)のOB・OG会がありました。
そこで、今回は、静岡県弁護士会と静岡高校出身の弁護士について、お話ししたいと思います。
まず、なぜ一昨日、静岡高校のOB・OG会が開催されたのかといいますと、今年度の静岡県弁護士会の会長と静岡支部の幹事長が静岡高校のOB・OGであり、今回の会には、両名への激励の趣旨が含まれているためです。
ここで、静岡県弁護士会の組織構造について、非常に簡単ですが、説明しておきたいと思います。
静岡県弁護士会と各支部の話
皆様ご承知のとおり、静岡県は東西に長い県です。
他県出身の友だちからは、「東京から新幹線に乗ると、静岡に入ってから出るまで長い!!」とよく言われます。
静岡県では、地理的な位置付けを前提として、東部、中部、西部という括りを用いることがあります。
静岡県弁護士会においても、東部、中部、西部という括りを使っており、それぞれ、沼津支部、静岡支部、浜松支部と呼ばれています。
先ほど述べました静岡県弁護士会の会長というのは、3支部を含む静岡県全体の長であり、静岡支部の幹事長とは、静岡支部のトップという位置付けです。
今年は、静岡県弁護士会全体の長と、静岡支部のトップという重役を、それぞれ静岡高校出身の先生が担われています。
そのため、静岡高校出身の弁護士により、その激励会が行われたという次第です。
静岡県弁護士会と静岡高校
静岡高校と言えば、静岡県内でいくつか名前が挙がる進学校の一つであると言って差し支えないと思います。
ただ、静岡県弁護士会における静岡高校出身者は、かつては非常に少なかったようです。
なぜなら、静岡高校出身の弁護士は、東京等で就職してしまうことが多かったからだそうです。
私が弁護士になった翌々年の2012年、私が幹事を務めた静岡高校OB・OG会が開催されたのですが、その時点で、静岡高校出身の弁護士は20名ほどでした(そこからさらに5年遡ると、静岡高校出身の静岡県弁護士会所属の弁護士は15名を下回ります)。
しかし、一昨日のOB・OG会の案内には、34名の弁護士の名前が記載されており、ここ10年ほどで、静岡高校出身の静岡県弁護士会所属の弁護士は約1.5倍に増えています。
私が石川アトム法律事務所を設立する前に所属していた静岡法律事務所は、当時から静岡県の中で一番弁護士の人数が多い法律事務所でした。
しかし、私が静岡法律事務所に入所した時点で、私には8人の先輩弁護士がいましたが、その中に静岡高校出身者は一人もいませんでした。
その後、私を含め、立て続けに5名、静岡高校出身者が入所することになり、一時期、静岡高校出身者は、静岡法律事務所で一大勢力となっていました。
ただし、その「勢力」は、静岡高校が甲子園に出場する際に、共同で、「静岡高校出身の静岡法律事務所の弁護士」という趣旨の応援広告を新聞に掲載するくらいのことしかしておらず、事務所内では、何の権力も実力もありませんでした(笑)。
静岡高校出身者であることと弁護士としての仕事
静岡高校出身者であることにより何か仕事上利益があったかという話になりますと、記憶にある限り、そういった経験はありません。
何かのきっかけで、依頼者さんが静高の先輩だったという話になることがあるくらいでしょうか。
ただ、弁護士の間では、コロナ前までは定期的に静岡高校のOB・OG会が開かれていたこともあり、静岡高校出身の弁護士は、他の弁護士に比べて、よく顔を知っている、仲が良い、可愛がっていただいているという感覚があります。
以前、先輩弁護士から小説をいただいたというブログを書きましたが、その先輩弁護士も静岡高校出身者です。
また、たとえば、利益相反の関係で自分が受けられない事件があるときに、どの弁護士を紹介しようかと考える際に、静岡高校出身の後輩弁護士の顔が浮かぶこともあります(ただし、単に静岡高校出身だから紹介するということはなく、安心して紹介できる弁護士であるから紹介する、というのが大前提です)。
年度で言うと、ようやく6分の1が過ぎたところで、静岡県弁護士会、静岡支部の執行部の先生方におかれては、これからがまさに本番と言ったところではないかと思います。
私としても、微力ながら、お二人の静岡高校OB・OGの先生方のお力になれるよう、本年度を過ごして参りたいと思います。

静岡を拠点に活動する弁護士の石川アトムと申します。静岡市に育ち、大学時代に祖母が交通事故に遭ったことをきっかけに、人の人生の大切な一歩を支えたい気持ちが芽生えました。東北大学法学部や京都大学法科大学院で学び、地元で弁護士として働きたい想いを胸に、2022年に独立開業し、石川アトム法律事務所を立ち上げました。事件の進行状況や今後の見通しをこまめに伝えるよう心がけ、ご相談者さまの安心につながればと思っています。趣味は英会話。