Author Archive

弁護士になるための就職活動~弁護士石川アトムの場合1

2024-10-20

弁護士としての就職活動は司法試験の遥か以前から始まっていた

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

これまで、弁護士になるために必要な「司法修習」という制度について、18回にわたりお話をしてきました。

弁護士になるためには、司法試験に合格し、司法修習という研修を約1年間受け、二回試験という卒業試験に合格する必要があります。

二回試験に無事合格した司法修習生の多くは、弁護士として働き始めますが、その中でもほとんどの修習生は、特定の法律事務所に就職し、その事務所の一員として弁護士デビューします。

中には、様々な理由により、特定の法律事務所に就職せず、弁護士デビューと同時に自らの事務所を開設するという弁護士もいないわけではありません。

このような場合、弁護士になったと同時に即独立する、ということで「即独」(そくどく)と呼ばれたりします。

即独しない修習生は、特定の法律事務所に就職する必要がありますが、法律事務所への就職活動は、どのように行われるのでしょうか。

これも、もはや15年以上前のお話になってしまうのですが、私がロースクール(法科大学院)に通っていたころ、弁護士としての就職活動は法科大学院に通っているころから始まっていたと言っても過言ではありません。

当時の司法試験(いわゆる「新司法試験」)では、多くの人にとって、法科大学院を卒業して初めて司法試験を受験するということが想定されていました。

法科大学院へ通っている時期というのは、司法試験に合格していないことはもちろん、司法試験を受けたことすら無い、という人もたくさんいました。

そういう状況であるのに、既に就職活動は始まっていたのです。

大手法律事務所の「サマクラ」

私がロースクールに入学してまだ2か月程度しか経っていないころ、掲示板にチラシが貼られていたのか、チラシが配られたのか、先輩のロースクール生から案内があったのか定かではありませんが、東京の某大手法律事務所が、事務所の紹介をする説明会を開くということで、案内がありました。

現在、日本の大きな事務所と言いますと、東京にある「四大事務所」、「五大事務所」と言われますが、私は、その中の2つの事務所の説明会に参加しました。

そのうちの1つの事務所では、京都市内の某有名ホテルの会議室で、説明が行われました。

参加した2つの説明会の記憶は既に忘却の彼方ですが、おそらくその説明会のときに、ロースクール1年目の夏休みに、1週間うちの事務所で業務体験をしてみませんか、という案内があったと思います。

東京や大阪の大手事務所で行われていた(現在も行われているようです)、夏休みに行われる弁護士事務所の業務体験のことをサマークラーク(略して「サマクラ」)と呼んでいました。

サマクラは、ロースクール生からすれば、将来就職したい法律事務所に自分をアピールする場であり、法律事務所側からすれば、若くて優秀なロースクール生をかなり早い時期から(司法試験合格の2年以上前から!!)、スカウトできるというメリットがありました。

大きな事務所で働きたいと思うロースクール生の多くは、サマクラに参加するのではないかと思います。

私がいたロースクールでは、3割程度の生徒は、ロースクール1年目の夏休みに、サマクラに参加していたと記憶しています。

「サマクラ」の中身

私が参加したサマクラは、東京の某大手法律事務所が行っていたものでした。

私は京都大学のロースクールに通っていましたので、京都から東京の事務所まで新幹線で行きました。

また、東京では、1週間宿泊する必要がありました。

これらの費用は、すべて事務所持ちです。

また、サマクラの期間中、朝食は事務所が予約してくれたホテルのビュッフェでした。

昼食や夕食も、毎回、事務所に所属している弁護士との会食で、それらの費用もすべて事務所持ちでした。

事務所に着いて早々、お昼を食べに行こうということになり、近くのホテルで昼食を取りました。

最安値のお料理が3000円くらいであり、学生だった私はとても驚きました。

さらに、おそらく今もそうだと思いますが、一応法律業務を補助する立場ということで、1日あたり1万円のバイト代的なものも支給されました。

私が参加した週は、自分を含めて6人程度のロースクール生がサマクラに参加していました。

ロースクール生一人あたり、最低でも1週間で15万円程度の経費かかるものと思いますが、大手事務所にとっては、早期スカウトのメリットに比べれば大した金額ではないのでしょう。

サマクラでは、担当となる弁護士1名(私の場合は、弁護士歴3年くらいの先生でした)から指示を受けて、裁判例を調査したり、法律の解釈について調べたりする業務を行いました。

自分以外の5人のサマクラ生は、確か全員別のロースクール(法科大学院)の方だったと思いますが、その中の一人に、めちゃくちゃ「四大事務所」やそこに所属している弁護士について詳しい方がいらっしゃいました。

四大のどこそこの事務所はこういう事務所で、あそこはこういう事務所で、あの事務所の○○先生は、こういう分野が非常に得意で・・・などというような感じです。

ロースクールに入って4か月で、よくそこまで色々調べたなぁと感心したものです。

彼は、その後、私も参加していたサマクラの事務所に入所し、現在ではパートナーになっています。

すごいです。

司法修習のお話~その18 恐怖の二回試験3

2024-10-10

弁護士になるための最終関門~オーストラリアでも悪夢にうなされる

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

これまで、弁護士になるために必要な「司法修習」という制度について、お話ししてきました。

今回は、その18回目で、いよいよ最終回です。

過去2回のブログでは、「司法修習」のラスボス的存在である通称「二回試験」(にかいしけん)についてお話をしてきました。

私は、その二回試験で、検察→刑事裁判と2連チャンで大失敗しながら、「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」の精神で、何とか完走することができました。

二回試験の終了からその合否の発表までは、およそ3週間ありました。

司法試験のときもそうだったのですが、私は、何かの試験の合格発表を、ただじっと待っているということがとても苦手です。

そのことばかり考えてしまう状態になり、精神的に良くないということを、自分自身よく分かっていました。

合否発表までの3週間を、ただじっと待っていることなどとてもできないと考えた私は、集合修習中に、オーストラリアへの6泊7日程度(機中泊含む)の海外旅行を申込みました。

そして、二回試験を終えた翌週から、オーストラリアのケアンズへ旅行に出掛けたのです。

ケアンズ旅行自体は、とてもとても楽しいものでした。

初めての一人での海外旅行で、日中は、二回試験のことを8割方忘れることができました。

ところが、夜!!

オーストラリア滞在中、2日に1回は、二回試験、あるいは、二回試験に落ちる夢を見ました。

どんだけメンタルやられてるんだよ!という感じですが、私にとって、二回試験のプレッシャーは本当に大きかったです。

オーストラリアから帰ってきた後、修習中から私を可愛がってくれた先輩弁護士のお誘いで、飲みに連れて行ってもらったことがありました。

そのとき、先輩弁護士は、某大先輩弁護士のお通夜帰りで喪服でした。

私が、二回試験に落ちたと思うと言って、あまりに落ち込んでいたので、その先輩弁護士には、まるで私が通夜に行ってきたようだと笑われてしまいました。

その先輩弁護士には、どうやって内定先の事務所に二回試験に落ちたことを報告に行けば良いのか、というような相談までしていたように思います。

私にとって、二回試験の合否発表までの期間は、それくらい厳しいメンタル状況にありました。

「二回試験」は合格発表と言うより不合格発表

二回試験の合格発表は、司法研修所で紙が貼り出される形式で発表されます。

司法試験を含め、多くの試験で貼り出されるのは、合格者の番号だと思いますが、二回試験で貼り出されるのは、不合格者の番号です。

前々回のブログでお話ししたように、二回試験の合格率は95%を超えます。

当時、私たちの修習同期は1800人くらいいたので、合格者は概ね1700人を超えます。

確かに1700人分の番号を貼るよりも、不合格者の番号を貼り出した方が早いと言えます。

とにかく二回試験では、不合格者が貼り出されるのです(おそらく今もそうでしょう)。

私は9分9厘落ちたと思っていたので、とても和光市の司法研修所まで合格発表(というか、不合格発表)を見に行く気力がありませんでした。

しかし、その日のうちには合否を知りたいと思い、同じ静岡修習で合格発表を見に行くという友だちに、不合格者が貼り出されている掲示板の写真を送って欲しいとお願いし、その写真で確認をしました。

友だちは面白がって、わざわざ2枚に分けて写真を送ってきました(1枚目の写真は、私の受験番号の直近の不合格者の番号が写るように撮影してありました)。

掲示板には私の番号はなく、私は辛くも二回試験に合格することができたのです。

本当にほっとしました。

さて、私のころは、二回試験の成績は開示を希望することが可能でした。

忘れたころに、私の手元に、二回試験の成績表がハガキで送られてきました。

その通知を見たところ、検察科目はCでした。

Aからいくつまであるのかは知りませんが、やはり検察科目はそれなりにヤバイ状態にあったのでしょう。

他方で、大失敗したと思っていた刑事裁判科目はAでした。

何じゃそら、って感じでした。

しかし、二回試験は、一科目でも不合格だと不合格になりますので、検察科目がCであった私の心配は杞憂では無かったわけです。

二回試験の後遺症

そんなこんなで、1年間の司法修習を終え、2010年12月15日に私は静岡県弁護士会で弁護士登録をし、今14年目を迎えています(もう2か月もすると、15年目になります)。

しかし、未だに二回試験はトラウマで、半年に1回くらいは、二回試験を受験してうまくいかなった夢を見ます。

こういう夢は弁護士何年目まで見るんでしょうね。

弁護士の業務に関する悪夢ではなく、司法修習時代の悪夢を見ているうちは、ある意味、まだ平和なのかもしれません。

そんなこんなで、司法修習に関するシリーズは、一旦おしまいとしたいと思います。

司法修習のお話~その17 恐怖の二回試験2

2024-09-30

弁護士になるための最終関門「二回試験」~大失敗した検察科目

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

前回のブログから、弁護士になるために、最後に合格しなければならない通称「二回試験」(にかいしけん)についてお話をしています。

前回お話ししたとおり、私の場合、検察→刑事裁判→・・・・という順番で二回試験を受けたのですが、初っ端の検察で大失敗しました。

詳しい内容は守秘義務に触れる可能性があるので言及できませんが、この年、修習生が起案した回答は、基本的には3つの罪名に分かれており、それぞれ3分の1ずつくらいの割合だったと聞いたことがあります。

罪名Aが正解で、B、Cの順番に評価が良いのですが、私が書いたのはCでした。

よもや検察起案でAが正解なわけがないという勝手な思い込みと、これ書いとけば落ちないだろ、という打算的な考えで、罪名Cを書きました。

しかし、完全にやっちまいましたね。

同じ静岡修習の検察官志望の修習生も、やっちまったようで、かなりしんどそうな顔をしていました。

試験終了の日に、何故かその修習生と飲みに行くことになり、お互いに、検察で何を書いたのか、という話をしたのですが、その修習生が書いた起案はBだったと記憶しています。

お互いにきっと大丈夫だよ!という根拠のない励まし合いをした飲み会でした。

弁護士の場合、二回試験は受かりさえすれば良いのです。

しかし、検察官志望者や裁判官志望者は、「一定の優秀な成績」で合格しなければいけないそうで、弁護士志望以上に、プレッシャーがかかっていたのでしょう。

ただ、その修習生も、めでたく二回試験に合格し、検察官になりました。

検察科目に続く刑事裁判科目でも大失敗

初日の検察で大失敗し、次の科目は刑事裁判でした。

私は、刑事裁判の起案をものすごく得意としており、所要時間の半分にも満たない時間で模範答案となったこともありました。

そのため、刑事裁判科目には自信がありました。

ところが、私が得意としていたのは、起案の本体の方で、小問に関する勉強はほとんどしていなかったのです。

当時、小問で最低ラインに達しないとそれだけで不合格というような話を聞いていたのですが、検察に続いて、刑事裁判科目の小問でも大失敗しました。

しかも、大問の方も、人生で初めて刑事裁判科目で○○を書こうかと迷った問題でした。

自分自身に、○○を書いたら絶対ダメ!と言い続け、●●前提の起案を作成しました。

9割5分以上が合格する二回試験の刑事裁判で、受験生に○○起案を求めることはあり得ないという打算的思考がまたもや働いたのですが、おそらくこれは正しかったでしょう。

このようなわけで、検察、刑事裁判と2科目連続で大失敗。

もうダメなんじゃないかと思いましたが、「あきらめたら そこで試合終了ですよ」の精神で、何とかその後の試験も完走しました。

でも、残りの3科目のことは、全然覚えていません。

検察と刑事裁判の内容が本当にショックだったのでしょう。

そして、検察と刑事裁判のトラウマは、その後も長く尾を引くことになります(詳しくは次回のブログで!)。

本当にあった恐い話~解答用紙を綴れず不合格

「綴れず不合格」と聞いても、二回試験に縁が無い人にとっては、全くちんぷんかんぷんでしょう。

そもそも「二回試験」というのは、厚さ1センチくらいの問題文(もはや薄い本です)を渡されて、朝9時ころから夕方4時ころまで、それに対する解答をひたすら作成するという試験です。

そして、「綴れず」というのは、解答を記載する用紙に関するお話です。

解答用紙は、横罫線付きのA4用紙で(確かA3・1枚にA4・2ページが印刷されていたと思うのですが)、用紙の左端に、ファイルに綴じるような2つの穴が空いています。

これが1人あたり何十枚も配布されます。

「何十枚」というのは、1枚1枚×何十枚という意味です。

解答用紙は、1枚1枚バラバラの状態で渡されるのです。

受験生は、この解答用紙に解答を書いていくのですが、最後に、自分が書いた解答用紙の束をそろえて、用紙に空いた2つの穴に黒いひもを通して束ねて綴るのです。

そして、制限時間内に解答用紙の束を適切な方法で綴れないと、それだけで不合格になります。

「綴れなかったら、そこで試合終了ですよ」状態になります。

えっ!?って思いません?

一生懸命頑張って司法試験に合格して、その後も1年間の研修を受けて、やっと弁護士なれると思ったら、紙をひもで綴れなかっただけで不合格!?

何言ってんの?って感じだと思うのですが、本当にそれだけで不合格になるのです。

毎年ごくわずかながら解答用紙を綴れなかったがために不合格になってしまった人が実際にいたようなのです。

そのため、私たち、当時の受験生は、とにかく綴る、ということを意識していました。

綴れずに不合格になってしまうなど、悔やんでも悔やみ切れません・・・。

「本当にあった恐い話」とはこういう話を言うのだと思います。

しかし、綴れないから不合格というのは、あまりに不合理であると最高裁判所も思ったのではないでしょうか。

近年では、答案を作成する時間が終了した後に、解答用紙をひもで綴る時間が設けられたようです。

2026年から司法試験でもパソコンによる答案作成が一般的に可能となるようで、近い将来、こんな話も過去の遺物になることでしょう。

司法修習のお話~その16 恐怖の二回試験1

2024-09-21

弁護士になるために合格しなければならない「二回試験」

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

司法修習シリーズのブログもいよいよ最終章です。

弁護士になるために合格しなければならない試験は何でしょう、という質問に対しては、おそらく多くの方が「司法試験!!」とお答えになるでしょう。

しかし、弁護士になるために合格しなければならない試験は、実はもう一つあります。

正式名称では「考試」(こうし)、通称「二回試験」(にかいしけん)と呼ばれる試験です。

これまで、司法修習について色々とお話をしてきました。

私の時代は、最初に、地域毎に、裁判所、検察庁、弁護士の仕事を実際の場で勉強する分野別修習があり、その後、選択修習を経て、和光での集合修習という流れでした。

そして、最後に、司法修習のラスボスとして二回試験があります。

二回試験に落ちると、弁護士になれません。

翌年にもう一度司法修習を受けられるのかというと、そうではありません。

司法修習生という身分も、二回試験の終了とともに無くなります。

つまり、二回試験に落ちてしまうと、「司法修習生」という身分を失って、翌年の同時期に行われる二回試験の合格のみを目指して、ただひたすら1年間勉強し続けるという状態に置かれます(仕事をしていなければ「無職」ということになってしまいます)。

また、不合格になった場合、内定を得ていた法律事務所から、内定取消を受けるということも考えられます。

二回試験の合格率は95%を超えます。

ほとんどの修習生が合格する試験です。

それだけに、二回試験のプレッシャーは凄まじいものがあります。

集合修習の特に後半は、全修習生(おそらく)が二回試験を目指して、必死で勉強をします。

「二回試験」の受験科目と日程

司法試験では、憲法、民法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、行政法という6つの基本科目に加え、選択科目の合計7科目の試験に合格しなければなりません。

「二回試験」では、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護の5科目の試験にすべて合格しなければなりません。

私の場合は、検察→刑事裁判・・・という順番でした。

なぜ最初の2つの順番を覚えているのかというと、最初の2つが壊滅的であった(と私が感じた)からです。

二回試験は、集合修習と同様に、和光の司法研修所で行われます。

いずみ寮に入っている修習生は、寮で朝食を済ませ、そのまま徒歩で廊下を渡って研修所に入り、試験を受けるということになります。

ハッキリした開始時刻は覚えていないのですが、おそらく午前9時かそこらだったと思います。

終了時刻もハッキリした時間は覚えていないのですが、午後4時とか、それくらいだったと思います。

集合修習に入ると、二回試験に向けて即日起案(答案練習)を何度も行いましたが、二回試験の試験時間も、基本的には即日起案と同様だったように思います。

先ほども申し上げましたように、試験科目は5つあります。

各科目を1日ごとに行います。

途中で、土日や、中日的なものがありました。

私の場合、金曜日に検察、土日を挟んで、月曜日に刑事裁判、火曜日に何かの科目、水曜日が休みで、木金と残り2科目だったのではないかと記憶しています。

恐ろしく厳格な二回試験~携帯電話は必ず預けましょう

私のこれまでの39年間の人生の中で、二回試験以上に厳しい試験はありませんでした。

司法試験ももちろん受験していますし、ロースクールに入るための入試や、大学入試、センター試験(当時)も経験しましたが、それらの試験の規律の厳格さは、二回試験の足下にも及びません。

私が司法試験を受けたのは、大阪のとある会場でした。

ある科目の終了後、私の席の斜め左方向の列の一番前に座っていた方は、係員が答案を回収中であり、自身の答案が回収されていない状態であるにもかかわらず、袋を破いて、昼食のパンを食べ始めていました。

何てゆるい試験なんだろうと思いました。

それに比べて、二回試験の厳格さたるや!

ガラケーの時代でさえ非常に厳格だったので、今はもっと厳しいと思いますが、少なくとも私の時代の二回試験では、試験会場に携帯電話を持ち込む場合、試験開始前に、携帯電話を所定の箱の中に入れて、試験監督に預けるという決まりになっていました。

しかし、いるんですよね、預けない人が。

で、鳴るんですよ、そういう人の携帯が。

おいっ!って思いましたよ。

こういうことが起きますと、試験終了後に、誰の携帯電話が鳴ったのかと、試験監督らによって「犯人」捜しが始まります。

鳴った携帯の主が特定されますと、おそらくその人は失格になります。

ですから、「やべぇ、、、オレの携帯鳴っちゃったよ。」と自分で分かっていても、「犯人」は絶対に名乗り出ません。

名乗り出たら、そこで試合終了ですよ、状態なのです。

そうすると、その部屋の受験者は、試験終了後、全員着座で待たされることになります。

私の部屋では、確か2回、つまり2日、そういった場面があったように記憶しています。

どちらか一方は、試験終了後も1時間半ほど待たされました。

5科目を同じ部屋で受けるので、2回目に携帯が鳴った人は、1回目に誰かの携帯が鳴ったとき散々待たされた経験をしていたはずなのに、どうして携帯を預けなかったのか・・・。

二回試験は本当に厳しいのです。

答案の回収が終わってないのに、パンを食べ始めちゃうとか、あり得ないんです。

二回試験中、携帯電話は絶対に預けましょう。

他の受験生に大変な迷惑がかかります。

司法修習のお話~その15 集合修習3

2024-09-12

いずみ寮での食生活

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

最近あまりに忙しく、ブログの更新が後回しになってしまいました。

今回もこれまでに引き続き、集合修習のお話です。

集合修習中、多くの修習生は、いずみ寮という司法研修所の中にある寮で寝泊まりし、集合修習を受けることになります。

集合修習中の食生活について、先輩や、先行して集合修習を受けていた大規模庁所属の修習生から、ある噂を漏れ伝え聞いていました。

どうも寮内にある食堂がイマイチらしい、近所で食べられるところは高すぎる、という噂です。

もともと私は外食をするタイプではなく、お昼はレーズンパンでいい人だったので、いずみ寮に入った後も、食堂や外食を利用することは考えていませんでした。

いずみ寮に入った後も、たびたびレーズンパンを買いに、和光市駅近くのイトーヨーカドーに行っていました。

いずみ寮でのカップ麺生活

いずみ寮に入寮して2、3日したころだったと思いますが、同じロースクール出身の友だちと話す機会があり、食事の話になりました。

その友だちは、カップ麺をケース買いしていずみ寮に持ち込んできたということでした。

どういう話の流れでそうなったのかはよく覚えていませんが、私はその友だちから、彼が持ち込んだカップ麺のうち5~6個を購入することになり、私もカップ麺生活に突入しました。

私はレーズンパンだけでなく、カップ麺も好きなのですが、いずみ寮で、1日1、2個のカップ麺と近所のコンビニで買ったおにぎりを摂取する生活を始めて3日目に、おそろしく体調が悪くなりました。

カップ麺に頼る生活は危険だと思い、その後は、外食をするようになりました。

司法研修所の比較的近くに親戚の家があり、入寮していない静岡修習の仲の良い友だちがいました。

その友だちは、自動車の運転ができまして、カップ麺を食べ続けて気持ちが悪くなったという話をしたところ、その友だちが「君に足りないものを補いに行くから!!」と言って、自動車を運転して私を外食に連れて行ってくれたこともありました。

本当にありがとう!

時折外食をすることを決めた後、私が集合修習中によく行っていたお店は、和光市駅前の松屋さんでした。

牛丼並盛りの豚汁サラダセットで、野菜不足をカバーしていました。

今でも、松屋さんで食事をすると、集合修習のことを思い出します。

いずみ寮では、一度だけ食堂を利用したことがありました。

私はカレーを食べたのですが、全く普通でした。

カップ麺を食べ続けるくらいなら、もう少し食堂を利用しても良かったかもしれません。

涼宮ハルヒの憂鬱と競馬中継

私が集合修習を受けていた時代は、今のように、NetflixやらAmazonプライムやらが発達していた時代ではなく、そもそも当時私が持っていた携帯もいわゆるガラケーでした。

集合修習で生活が始まった当初、私が持ち込んでいた娯楽と言えば、「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの小説くらいでした。

集合修習前に、先輩だったか、同期のいわゆるA班の友だちだったか、どちらか忘れてしまいましたが、和光の寮は、まるで病院のように殺風景だと聞かされていました。

確かに、ベッドと、壁に作り付けの机とホテルにあるような小さな冷蔵庫とユニットバスがあり、壁は一面真っ白(窓はあります)。

私の記憶では、当時、寮の部屋には涼宮ハルヒの特典ポスターを貼っていたように記憶していたのですが、どうやら「東のエデン」のポスターを貼っていたようでした。

自分自身の傾向として、授業の時間以外の時間も、何日も部屋に閉じこもっているというのは、精神衛生上良くないだろうと思い、集合修習のときには、頻繁に外出をするようにしていました。

和光市駅までは、研修所の近くからバスが出ており、和光市駅から東武東上線に乗って池袋に出掛けたこともありました。

池袋の街中で、同じロースクールの修習生とすれ違ったときは、お互いとても驚きました。

また、同じく研修所の近くから、成増へ向かうバスも出ており、成増の方が和光市駅前より賑わっている感じがして、そちらに遊びに行くことも多かったです。

成増駅の近くには、TSUTAYAがありまして、時々「涼宮ハルヒの憂鬱」のDVDを借りて見るのが集合修習中のストレス解消方法でした(↓こちらのコップはSOS団のものですね笑)。

また、私は、毎週日曜日の午後3時から1階のテレビで競馬中継を見ており、これも密かなストレス解消法でした。

知らない同期には、あいつ何なんだ、と思われていたかもしれません。

ちなみに、二回試験が終わった後の最初の日曜日、私は東京競馬場でジャパンカップを見に行きました。

この後の回に、二回試験の話を書きますが、二回試験は、二度と受けたくない試験です。

当時の集合修習は2か月弱あり、最初の1月はかなり順調だったのですが、2週目の起案の民事弁護で、あまり良くない成績が付いてしまい、そこから二回試験を終えるまではかなり精神的に大変でした。

これから二回試験を受けられる皆様は、心身の調子を整えて、心身ともに健康な状態で二回試験に臨んでいただきたいと思います。

司法修習のお話~その14 集合修習2

2024-08-30

「即日起案」って何ですか。

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

前回の記事から、司法修習のラストダンジョン、集合修習についての思い出をお話ししています。

私が修習生であったとき、集合修習は2か月弱ありました。

その間に、即日起案が5科目×2回ありました。

2か月の集合修習のうち、前半で5科目×1回、後半の割と最初の方でもう1回実施されたという記憶です。

「即日起案」というのは、弁護士などの法曹関係者、あるいは、司法修習生以外の方には、耳慣れない、というか、全く聞いたことがない言葉だと思います。

「即日起案」というのは、「二回試験」の予行演習のようなものです(「二回試験」については、こちらの記事をご覧ください)。

「即日起案」の当日、修習生には、1人1人、厚さ1センチくらいの冊子が与えられます。

その冊子には、ある刑事事件や民事事件について、事実関係や証拠が記載されています。

修習生は、その冊子の内容を検討し、各科目において提示されている問題に対する回答を作成します。

民事裁判や刑事裁判の即日起案であれば、どのような判決を下すべきか、といった問題であったり、検察の即日起案であれば、どのような罪状で当該被疑者を刑事裁判にかけるべきかという問題であったりします。

この「即日起案」の最大の特徴は、とにかく試験時間が長いことです。

午前9時にスタートし、終了時刻は夕方4時ころだったと思います。

7時間かけて1科目に臨むのです。

「お昼休憩」という定まったものもありません。

即日起案の日は、修習生は、コンビニのパンなど予め昼食を用意しておき、記録を読んだり、答案を作成したりしながら、お昼を食べます。

1科目の答案を書くのにそんなに時間が要るのか!?と思われるかもしれないのですが、実際、それくらいの時間がかかることがほとんどでした。

答案用紙も、A4で30行くらいあるものを15枚、20枚書いていたと思います。

昼過ぎに終わってしまった刑事裁判の起案

これまでお話ししたように、「即日起案」というのは、ものすごく時間がかかり、大部なものになることが通常でした。

しかし、私が集合修習で受けた2回目の刑事裁判の即日起案は例外でした。

昼の1時か2時には答案ができあがってしまい、しかも、答案の枚数も確か7、8枚だったように記憶しています。

こんなに早く、しかも、こんなに分量も少なく終わってしまい、はて、私はこの問題にちゃんと答えられているのだろうか、何か重大な問題や要素を見落としているのではないか、と非常に心配になりました。

周りの修習生を見ても、夕方まで普通に起案に取り組んでいるようでした。

しかし、どんなに考えても、大して付け加えられる内容はなく、仕方なく私は、答案の「清書」をすることにしました。

ホントにヒマだったのです。

「清書」をするしか、やることが無かったのです。

ところが、何ということか、そのときの私の答案は、優秀答案になりました。

「清書」しておいて良かったです(笑)

集合修習の雰囲気~前半は飲み会が多かった

集合修習=最後のダンジョンであり、二回試験というラスボスを突破することが修習生全員の共通した目標です(必要とされる「突破の仕方」に個人差はあったようですが)。

受験というと、ピリピリしたような雰囲気を想像されるかと思います。

二回試験そのものは、いずれお話しするように、ものすごく厳格に行われるのですが、集合修習自体は、それほどピリピリしたものではありませんでした。

特に、集合修習の前半は、飲み会が多かった記憶があります。

即日起案が終わって、クラスでその打ち上げ的な飲み会をして、二次会でカラオケに行ったりしていました。

飲みながら、「○○さん、このままじゃ二回試験やばいんじゃないの~。」などと冗談半分に二回試験の話が出ることもありました。

また、外での飲み会に限らず、いずみ寮の中でも、「談話室」という名称だったか、その部屋だけは飲み会OKという大きめの部屋があり、そこでよく酒盛りが行われていたようです。

ただ、二回試験が1週間後、2週間後に迫ってくると、修習生全体に緊張感が漂ってきて、さすがに、その時点で、「飲み行こうぜ☆」と言ってくる猛者はいませんでした。

私は、集合修習に入るまで、共同生活というものがあまり好きなタイプではないと、自分で思っていました。

しかし、いずみ寮は、全室個室で、そのうえ、たくさんの友だちが近くにいた、という環境であったため、比較的楽しく過ごせたという記憶です(二回試験の期間以外は!)。

テレビが持ち込み不可であったことは、前回のブログでお話ししましたが、いずみ寮の1階には大きめのテレビが置いてありました。

あまり見る人がいなかったようですが、私はそのテレビで毎週日曜日の夕方、競馬中継を見ていました。

外から寮に戻ってきた修習生には、「あいつ、また競馬見てるよ・・・」と思われていたかもしれません。

司法修習のお話~その13 集合修習1

2024-08-19

弁護士になるための最終試験~通称「二回試験」

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

さて、「弁護士になるために合格する必要がある試験は何でしょう。」という質問に対しては、多くの方が「司法試験」とお答えになるでしょう。

実は、あまり知られていないかもしれませんが、弁護士になるためには、あるいは、裁判官、検察官になるためには、「司法試験」に合格した後、さらにもう一つ、「二回試験」という試験に合格しなければなりません。

「二回試験」は、文字どおり「にかいしけん」と読みます。

正式名称は、「司法修習生考試」(しほうしゅうしゅうせい こうし)というようです。

この「二回試験」は、司法修習の卒業試験とも言える試験で、司法修習の最後に行われます。

いわば、ラスボスです。

私自身のラスボスとの闘い(苦闘…)は、また別の機会にお話しするとして、今回は、ラスボス前の最後のダンジョンとも言うべき「集合修習」についてお話しします。

「集合修習」とは

集合修習とは、埼玉県和光市にある司法研修所に全国から司法修習生が集まり、講義形式の修習を受けたり、模擬裁判をやったり、二回試験の予行演習的な「即日起案」を行ったりする修習のことです。

司法修習に関する前回のブログでは、選択修習についてお話をしました。

司法修習生の中でも、選択修習をしてから集合修習を受けるというパターンの修習生と、集合修習を受けた後、選択修習を受けるというパターンの修習生がいましたが、静岡修習は前者でした。

また、現在の司法修習は、全国各地での実務修習に先だって、まず司法研修所での導入修習を経て、その後実務修習を行い、最後に再び司法研修所に戻って集合修習を受けるというスタイルです。

しかし、私が司法修習生だったときには、いきなり実務修習から始まり、その後二回試験までの間だけ司法研修所において集合修習を受けるという形式でした。

集合修習中は、70人程度の修習生が1つのクラスに属して、講義を受けたり、模擬裁判を行ったりします。

静岡修習は全体で25人程度でしたので、甲府修習、那覇修習とともに、1つのクラスを形成していました。

「集合修習」での目標は、多くの人にとっては、ただ一つで、「とにかく二回試験に落ちないこと」です。

集合修習中に行われた二回試験の予行演習たる「即日起案」は、実務修習中に行われていた形式のものとさほど変わりが無かったように記憶しています。

即日起案は、民事裁判、刑事裁判、民事弁護、刑事弁護、検察を2回ずつ行いました。

起案に対しては、毎回アルファベットでの評価が付されました。

教官において、特に優秀な起案だと評価した起案については、氏名を隠したうえで、コピーが用意されます。

「とにかく二回試験に落ちないこと」が、多くの人にとって、唯一にして絶対の目標であり、もっと勉強しないと、二回試験がまずいぞ、という起案を書いた修習生は、優秀答案をコピーして勉強します。

なお、「多くの人にとって」「とにかく二回試験に落ちないこと」が目標だと書いたのは、「多くの人」が、二回試験の合格後には弁護士になるからです。

裁判官や検察官志望の修習生(特に検察官志望の修習生)は、二回試験合格後の就職を見越して、裁判科目や、検察科目など、就職先予定の科目において、「優秀な」成績で二回試験に合格することが求められるという話を聞いたことがあります。

他方で、弁護士志望の修習生は、とにかく二回試験に合格しさえすれば良いのです。

繰り返しますが、とにかく二回試験に受かる、これが大事なのです。

いずみ寮への引越し

私が修習生であったとき、集合修習の期間は、二回試験を入れて2か月弱でした。

その期間は、司法研修所内の「いずみ寮」という寮に入って生活する人がほとんどであったと思います。

いずみ寮のキャパシティの関係で、私たちのころは、関東近郊に実家がある、あるいは関東近郊に親戚がいるという人は、入寮することができなかったようで、毎日司法研修所まで通っている友だちもいました。

いずみ寮は国の教育施設であり、持ち込める物には制限がありました。

確かテレビは持ち込み禁止だったはずです(持ち込んでいる人もいましたが)。

運び込む荷物は、せいぜい段ボール2、3個程度だったと思います。

私は9月下旬ころに、静岡市から和光市へ引越しをしました。

入寮当日は、入口付近がごった返しており、たくさんの友だちと一緒に、何か新しいことが始まるという若干ワクワクした気持ちになりました。

実際、私の場合、大学は東北大学で、ロースクールは京都大学で、実務修習は静岡だったので、いずみ寮では、大学時代の友だち、ロースクール時代の友だち、実務修習時代の友だちがみんないて、すごく不思議な感覚でした。

実務修習開始後早々、別の修習地で修習をしていた大学時代の友だちと会い、「久しぶりだね~。どこで就職するの。」などと話をしました。

3つの時代の友だちが一つの建物の中で一緒に寝起きし(いずみ寮は個室ですが)、同じカリキュラムの勉強を一緒に行っていくというのは、とても不思議な感覚でした。

後にも先にも、集合修習のときにしか経験できなかった体験だろうと思います。

静岡地方裁判所主催の夏休みイベントに参加してきました(+お盆休みのお知らせ)

2024-08-09

静岡地方裁判所の刑事法廷を使用した夏休みイベント

みなさん、こんにちは。弁護士の石川です。

小中高生の夏休みも、ちょうど折り返し地点といったところではないでしょうか。

今回のブログは、昨日行われたイベントについてのお話です。

昨日は、静岡地方裁判所で、小学4年生から6年生を対象とした夏休みイベントが開催されました。

私は、弁護士の立場で、同イベントに参加して参りました。

同イベントの主な内容は、以下の3つです。

①実際の法廷を使った刑事模擬裁判

②現役の弁護士、検察官、裁判官に対する質問コーナー

③法廷見学(法服=裁判官が着ている服を着て、記念撮影もできるそうです!)

静岡地方裁場所の広報ページにイベント告知用のチラシがありましたので、そのリンクを貼らせていただきます。

Microsoft PowerPoint – 02-1 夏休み広報行事チラシ (courts.go.jp)

私は、去年、一昨年、今年と、ここ3年、こちらのイベントに弁護士会側の人間として参加させていただいております。

一昨年行われた同様のイベントに関する、テレビ局の記事がありましたので、リンクを貼らせていただきます。

被告は王妃! 白雪姫毒リンゴ殺人未遂事件の『模擬法廷』で小学生が下した判決は… 裁判官役「それぞれの主張が納得できて難しかった」 静岡地裁 – LOOK 静岡朝日テレビ (satv.co.jp)

こちらのサイトの、2枚目の写真の右後ろに座っているのが私です。

本物の法廷を使った刑事模擬裁判

夏休みイベントのメインは、実際の法廷を使った模擬裁判です。

参加していただいた生徒さんには、それぞれ、弁護士(刑事裁判ですので、厳密には「弁護人」)、検察官、裁判官の、いずれかの役になってもらいます。

模擬裁判で、どのようなセリフを言うのかなどについては、シナリオがありますので、難しい知識は必要ありませんし、「失敗する」心配も全くありません。

今年もそうでしたし、これまでの回の生徒さんたちも同様ですが、生徒さんは、皆さんとても堂々と各配役をこなしていらっしゃいました。

模擬裁判の終盤では、シナリオ上展開された、ある事件について、被告人として刑事裁判にかけられてしまった人が犯人であるかどうか、つまり、被告人は有罪か無罪か、を生徒さんたちに考えてもらいます。

裁判官チームの生徒さんだけでなく、弁護士(弁護人)チームの生徒さんにも、検察官チームの生徒さんにも、被告人が有罪か無罪かを考えていただきます。

生徒さんからは、シナリオ上現れた事実について、こういう意味で被告人に有利と判断できる、という意見が出たり、同じ事実についても、こういう意味で被告人には不利な事実である、という意見も出たりするなど、活発な意見交換がされていました。

同じ一つの事実についても、様々な評価ができるということは、裁判手続に限らず、日常生活においても、とても重要なことだと私は考えています。

物事の見え方や、ある物に対する考え方や評価は、一つだけではないということです。

生徒さんたちにそのことを少しでも感じとっていただけたのなら良かったと思いました。

裁判官、検察官の真面目な回答と対照的な弁護士(私)の回答

もちろんキリッとした、大変真面目な弁護士も、この世の中にはたくさんいらっしゃると思いますが、私はどちらかというと、そういうタイプではありません。

質問コーナーでは、裁判官、検察官と弁護士(私)の雰囲気は、随分違うなぁと毎年思います。

毎年、どうして弁護士、裁判官、検察官になったのですか、という質問が挙がります。

私にとって弁護士を目指した理由は一つではなく、大きく分けても、5個くらいはあるのですが、私はここ3年、「組織や会社で働くことに向いていないと思ったので、弁護士を目指しました。」と答えています。

こちらのイベントは、保護者の皆様が同伴されていまして、多くの保護者の皆様は、この回答に笑ってくださいます。

別にウケを狙って回答しているわけではないのですが、特に昨日のイベントでは、裁判官、検察官の回答については、皆様「うんうん」「ふむふむ」と言った様子で聞かれているのですが、私の回答については、笑いが起きることが多かったと思います。

ここ2年こんな感じで、弁護士会側の人間としてイベントに参加してきて、今年も裁判所から出演NGは出されなかったので、来年もお声掛かりがあれば、是非参加させていただきたいと思っています。

石川アトム法律事務所のお盆休みのお知らせ

さて、直前のお知らせとなり、申し訳ありません。

早い人では、既にお盆休みに入られている方もいらっしゃるかもしれません。

弊所では、土日を含めまして、本年8月10日から同月18日までお盆休みをいただきます。

同期間中は、基本的に事務所宛のお電話はつながらない状態となります。

ご不便をお掛けいたしますが、何卒ご容赦ください。

なお、顧問契約をご締結いただいております顧問会社様には、何かございましたら、お盆休み中も随時当職の携帯電話宛てにご連絡いただければと思います。

皆様、暑さに気を付けて、お盆休みをお過ごし下さい。

アメリカで誘拐されたと勘違いした件

2024-07-31

アメリカのロースクールで2週間の講義聴講

皆さん、こんにちは。弁護士の石川です。

マレーシア旅行のブログの中で、マレーシアでは、配車アプリGrabが浸透しており、同アプリでは、事前清算ができること、このアプリがあれば、アメリカのワシントンDCで、タクシーで誘拐されたと勘違いして、パニックになることもなかっただろうに・・・という話を書きました。

今回のブログは、その「勘違い」の件です。

私は、コロナ直前の2019年8月、ワシントンDCを訪れました。

当時、立命館大学ロースクールの主催で、ワシントンセミナーという、アメリカのロースクールで勉強をするプログラムがありました。

過去のものですが、ウェブサイトがありましたので、リンクを掲載させていただきます。

https://www.ritsumei.ac.jp/lawschool/washington_seminar/

当時私が所属していた静岡法律事務所の所長は、立命館大学のご出身で、そのプログラムに参加してみないかという話をいただいていました。

移動期間を含めると2週間以上の国外滞在が必要となり、長期日本を不在にすることに対する不安もありましたが、当時契約をしていた全ての顧問会社様から、同プログラムへの参加について許可をいただき、2019年の回に参加することを決めました。

本当は、(私の中では)同じ事務所の後輩弁護士とともに参加する予定だったのですが、ある事情により、彼は参加することができなくなってしまいました。

そのことは今でもとても残念に思っています。

このプログラムには私を含め4名の弁護士と10名ほどのロースクール生が参加していました。

このプログラムでは、1日2、3個の講義(全編英語)を受けたり、現地の弁護士事務所や裁判所を見学したりしました。

私のこれまでの人生の中で、最も楽しかった2週間であり、できることならば、もう一度参加したいと思っているイベントです。

私の参加をご快諾いただいた顧問会社の皆様と、つわりが苦しかったにもかかわらず、参加を許可してくれた妻には本当に感謝しています。

このときのことは、また別のシリーズとして、皆様にご紹介したいと思っています。

今回は、その番外編というか、おまけというか(本編より先なのですが)、ワシントンDC滞在中にニューヨークへ向かったときのお話です。

列車に乗ってワシントンDCからニューヨークへ

ワシントンセミナーの期間中、私たちは、ワシントンDCから少し離れたメリーランド州ベゼスタのホテルに滞在していました。

講義や見学があるのは平日で、土日はフリーとなっており、私はかねてから土日にはニューヨークに行ってみたいと思っていました。

ワシントンDCからニューヨークへは、電車で3時間ほどかかります。

事前に、始発のチケットを購入しておきました。

出発はワシントンDCのユニオンステーションですが、ニューヨーク行きの最も早い便に乗る場合、ホテルからユニオンステーションへ向かう地下鉄が動いていない、あるいは、始発でも間に合わない可能性がありました。

そこで私は、宿泊先のホテルのフロントに、土曜日の朝、タクシーを呼んでくれるように伝えていました。

恐怖のタクシー乗車体験

土曜の朝、タクシーが来て、私は、運転手に、ワシントンDC中心部にあるユニオンステーションに向かって欲しいと伝えました。

ユニオンステーションは、当時宿泊していたホテルから南東の方角にあります。

私は当然南東側へ向かうのだろうと思っていました。

ところが、タクシーは、発車早々、北側へ向かって走り出したのです。

私は、途中でどこかでUターンするのだろうと思ってしばらく静観していたのですが、タクシーは北へ走り続け始めました。

ちょっとおかしいと思い、運転手さんに、ユニオンステーションに向かっているんですよね、と尋ねたところ、運転手さんは、道路工事をしていて混んでいるから、別の道を通っているだよ、と答えました。

まぁ、そういうこともあるのかと思い、またしばらく乗っていたのですが、そのうち、タクシーは西側へ向けて走り出しました。

私は再度運転手さんに、駅に向かっているんですよね、と確認しましたが、運転手さんは大丈夫だと言うばかりでした。

仕舞いには、タクシーは高速道路ばりにビュンビュン飛ばす車ばかりの何車線もある道に入りました。

しかも、道路の隣は完全な森!!

グーグルマップを見てみると、タクシーは駅とは違う、完全に明後日の方向に向けて走っていることが分かりました。

青矢印の始点がホテルで、矢印の先が駅の場所です。

しかし、タクシーはルートから大きく外れ、青点の位置まで来てしましました。

ホテルから約10キロ、車で15分ほど走った状態です。

私は、誘拐されているものだと思い、パニックに陥りました。

運転手さんに、お願いですから、駅に向かって下さいと何度も懇願しましたが(まさに懇願でした)、運転手さんは、駅に向かっている、大丈夫と繰り返すばかり。

一時はタクシー会社に電話をしようか、タクシーから飛び降りようか、とも考えました。

全く、生きた心地がしませんでした。

そのうち徐々にタクシーは南下し、駅が近づいてくるとようやく安心できました。

結局タクシーは、ホテルから駅までGを書くように走ったのです。

当時、ワシントンセミナーのメンバーでグループLINEを持っていたのですが、そのLINEに、タクシーに乗ったら明後日の方向に連れて行かれたものの、とりあえず無事である旨を報告しました。

清算時にチップを支払う画面が表示されたのですが、0が無かったので、仕方なく1ドルと入力。

おそらくタクシーの運転手は、距離を稼ごうとして遠目のルートを通ったものと思いますが、本当に怖かったです。

香港でデパートの非常ベルを鳴らしてしまったり、ラスベガスで白昼堂々カツアゲされたりもしましたが、今回ご紹介した件が、これまで海外で一番ヤバいと思ったできごとでした。

このときGrabが使えていたら、距離稼ぎの運転のために、誘拐されたと勘違いすることも無かったでしょうに、ということで、以前のブログで言及した次第です。

マレーシア旅行6~日本という国を久しぶりに外から見て

2024-07-20

大都会とジャングルという双極の印象

皆様、こんにちは。弁護士の石川アトムです。

ゴールデンウィーク明けから始まったマレーシア旅行のお話も今回で最後です。

気が付けば、すっかり夏、7月下旬になってしまいました。

さて、今回のブログは、マレーシア旅行を通じて、私が思ったことを中心に書いていきたいと思います。

私がクアラルンプールを訪れる前、義姉夫婦の情報で、クアラルンプールは、ものすごい都会であると聞いていました。

ガイドブックを見ても、超高層ビルが建ち並んでおり、実際、ブキッビッタンなどの繁華街は、ものすごく栄えています。

東京に住んだことの無い、田舎者の私の感覚ですが、まるで山手線のどこかの駅の街中にいるような、都会感がありました。

私は、このような繁華街を訪れて、あるいは、世界第2位の高さを誇るムルデカ118などを見て、日本はマレーシアにも追いつかれ、追い越されようとしているのではないか、という感覚を持ちました。

しかし、他方で、羽田から7時間、クアラルンプール国際空港に着陸するというとき、地表は真っ暗で何も見えませんでした。

それもそのはずで、クアラルンプールの周りはジャングルだったからです。

空港に向かう帰りの車窓では、何分間もジャングルの風景が続きました。

マレーシアでは、都会は非常に近代的ですが、全国的に見た場合、おそらくそのような地域はごくごく僅かなのでしょう。

そういえば、水曜どうでしょうのジャングル探検も、マレーシアが舞台でしたね。

LOOK EAST!

私たちは、日頃日本にいて、日々、ネガティブなニュースに晒され続けています。

GDPが4位になるだの、円安が止まらないだの。

日本でポジティブなニュースといえば、大谷翔平選手の大活躍くらいでしょう。

私はネガティブなニュースに晒され続け、日本という国に対して悲観的であり続けてきました。

しかし、マレーシアに来て、日本はすごく大事にされている国なんだなと思いました。

まねきねこやら、ドンキやら、すき家やら、日本のものは山ほどあります。

どこから来たのかと聞かれ、日本からだと答えると、皆さん、とても興味を持って話を聞いてくれました。

日本という国をとても大切に扱ってくれている印象を受けました。

マハティール首相時代にLook East政策が採られた影響もあったのかもしれませんが、そのように感じました。

日本が今のままで良いとは言いませんが、日本という国に対して、もっと自信を持っても良いのではないかと思いました。

My grassroot effort~私の草の根活動

短い間でしたが、マレーシア滞在中、久しぶりに英語を話す生活をしました。

マレーシア旅行の中では、何よりもそれが楽しかったです。

もっとも、訛りがあったのかもしれませんが、必ずしもうまく聞き取りができたわけではなく、“Name”レベルで、単語が聞き取れないこともありました。

しかし、久しぶりに英語を話す生活をして、自分自身の言葉で、直接現地の人と話をして、新しい文化や考え、現地の人の思いに触れることができたことはとても楽しかったです。

やはり英語の勉強は続けていきたいなと思いました。

先ほどもお話ししましたが、マレーシア滞在中、マレーシアの国の人たちが、日本をとても大切に扱ってくれているように感じました。

実際、私が話をした中では、日本を訪れたことがある人も多く、実際に日本を訪れたときにも日本のことを気に入ってくださったようでした。

私は、このようなマレーシアでの体験を経て、世界中のもっと多くの方に日本を知ってもらいたい、日本のことを好きになってもらいたいと思いました。

帰国後、この2つの思いがマッチングしまして、結局何を始めたのかと言いますと、「Hello Talk」というアプリです。

近くに住んでいる日本語学習者を検索するページの見た目が完全に出会い系アプリなので、妻からあらぬ誤解を受けぬよう、利用開始と同時に、妻にはこのようなアプリを始めたことを伝えました(汗)

仕組みはFacebookに似ていますが、自分が英語で投稿した記事について、他のユーザーが訂正をしてくれたり、「Lawyer」と「Attorney」はどのように違うのでしょうか、などといった質問に他のユーザーが答えてくれたりします。

このアプリでは、電話で他のユーザーと話をすることもできますが、忙しかったり、時差の関係だったりして、なかなか電話機能は使えていません。

これまでお話できたのは、韓国の方、インドの方、ルワンダの方です。

せっかくなので、もっと電話機能で話をしたいと思っているのですが、日記投稿機能だけでも、(それなりの頻度で投稿すれば)随分英語力が鍛えられると思います。

私は、まだまだ冠詞(a,theなど)を忘れがちなのですが・・・。

これからも英語の勉強を継続していきたいと思います。

そして、次回は、家族で海外旅行に行きたいと思っています。

« Older Entries Newer Entries »

keyboard_arrow_up

0542706551 問い合わせバナー 無料相談について